保護者欄の未来

湊川六花は三十四歳で、六度目の不妊治療を始めた。

注射の予約を確認した朝、十二年後の学校から未来通知が届いた。

〈保護者面談のお知らせ。湊川六花様、午後四時にお越しください〉

子どもの名前は個人情報として伏せられていた。六花は泣いた。自分は母になる。結果が先に届いたことで、治療の痛みも費用も耐えられると思った。

しかし七度目も、八度目も妊娠しなかった。夫は治療をやめようと言い、六花は未来を信じないのかと責めた。二人の会話は、まだいない子どもの予定で埋まり、目の前にいる相手の顔を見なくなった。

九度目の前日、六花は病院の待合室で、通知を開き直した。そこには〈実子〉とも〈母親〉とも書かれていない。ただ、保護者とあるだけだった。

六花は治療を休んだ。夫とも別れた。未来を諦めたのではなく、未来の読み方を一つに決めるのをやめた。

数年後、彼女は児童相談所の一時保護所で働き始めた。夜に眠れない子へ本を読み、怒鳴る子のそばで黙って座った。家へ帰れない十歳の少女と出会ったのは、その職場だった。

里親になるまでには、通知より多くの書類と面談が必要だった。少女は六花を母とは呼ばず、六花も呼ばせなかった。最初の半年、少女は冷蔵庫の食べ物を鞄へ隠した。次の家へ移されても困らないようにしているのだと分かり、六花は叱らず、棚の一段へ『持っていっていい分』と札を貼った。やがて食べ物は隠されなくなり、代わりに学校のプリントが食卓へ置かれるようになった。それでも二人は同じ家で、朝のパンを焦がし、洗濯物の畳み方で喧嘩した。血のつながりより先に、なくなった靴下の片方を一緒に探す日々が積もった。

十二年後、学校の面談室で、教師が進路希望票を広げた。少女は福祉を学びたいと書いていた。

「保護者の方は、どう思われますか」

六花は、あの日の通知と同じ時刻を見た。

「本人が選んだなら、応援します」

帰り道、少女が初めて六花の腕をつかんだ。

進路希望票の保護者欄には、六花の名があった。母の欄は、最初から用紙になかった。二人は帰宅すると、またパンを焦がした。少女が『保護者、火を止めて』と言い、六花は笑ってコンロへ走った。