停電前の二人分
午前一時二十分。退去した部屋の冷蔵庫を空にしていた唐沢颯吾へ、千種梢から電話が来た。
「冷凍庫、まだ残ってる?」
「カレーが十二個」
「全部捨てて。あと十分で建物の電気が止まる」
三か月前まで二人で住んでいた部屋だ。梢が実家の介護で町を離れ、颯吾は一人で待つはずだった。だが彼女から〈もう作らなくていい〉と届いた夜、颯吾は解約を決めた。料理だけでなく、二人の生活を終わらせる言葉だと思った。
「自分で捨てに来ればよかっただろ」
「今日まで戻れなかった」
「戻る気もなかったんじゃないか」
透明な袋には日付と短い言葉が書いてある。〈夜勤明け〉〈給料日前〉〈喧嘩した日用〉。いちばん奥から、明日の日付の袋が出てきた。
〈帰ったら二人で食べる。辛さ半分〉
「これ、何だ」
梢の息が止まった。
「帰る予定だった。今日の最終便で」
「聞いてない」
「送ったよ。〈もう作らなくていい。私が帰ったら作るから〉って」
颯吾はメッセージ履歴を開いた。確かに〈もう作らなくていい〉のあとに、未受信を示す灰色の印がある。当時、彼の端末は容量不足で写真付きの二通目を受け取れていなかった。今、通信会社のバックアップから遅れて復元される。
添付写真には帰りの航空券と、新しい勤務先の採用通知が写っていた。梢は介護を終え、この町へ戻るつもりだった。
「部屋、解約したって聞いたとき、帰る場所はもうないって思った」
「確認すればよかった」
「颯吾もね」
一時二十七分。梢は今、空港近くのホテルにいるという。明朝には、別の町の臨時職員として出発する。颯吾が解約したあと、急いで探した仕事だった。
「明日の袋だけ、食べて」と梢が言った。「捨てられるよりはいい」
颯吾は鍋へ二人分を入れた。電子レンジではなく、最後まで火が使えるコンロで温める。電話が切れた直後、天井灯が落ちた。
暗闇で二つの皿へよそい、しばらく向かい合わせに置いた。やがて颯吾は梢の皿を自分の前へ寄せ、二本あったスプーンの一本を流し台へ返した。