充電二パーセントの通話

夜行バスの出発まで、あと七分だった。

北原詩乃は、塩谷郁也に黒いモバイルバッテリーを返した。借りたのは三か月前なのに、返す口実を残すように、ずっと鞄の底へ入れていた。

「充電、二パーセント」

郁也が詩乃の画面を見た。

「家までは持つよ。もう切るね、って言えば済むし」

詩乃は電話でも、必ず自分から終わらせた。話が弾んでいても二十三時になれば、自分から別れの言葉を告げる。郁也が先に眠そうな声を出す前に、通話終了の赤いボタンを押した。郁也からかけ直されても、風呂に入る、明日が早い、と理由を作り、待つ側へ回らないようにした。

四年前、婚約していた人から「あとでかける」と言われた。その電話は二度とかかってこなかった。翌日届いたのは、別れたいという短いメッセージだった。待つ側になった数時間があまりに長く、それから詩乃は、終わりだけは自分で決めるようになった。

郁也は来月まで、夜行バスで各地を回る舞台の仕事に入る。毎晩の電話もできなくなる。詩乃は寂しいと言う代わりに、時差もない国内なのだから大げさだと笑っていた。

「どうして、いつも先に切るの」

「眠いから」

「今日、出発まで話そうって言ったのに」

「もう切るね」

バス会社の係員が乗車を促す。郁也はバッテリーを受け取らず、ベンチのコンセントへケーブルを差した。

「これは貸したままでいい。返したくなったら、また会えるから」

詩乃の画面に充電マークが点く。二パーセントの数字が三へ変わった。終わりを先に選ぶために来たはずなのに、電池だけが時間を延ばしていく。

「郁也」

「うん」

「もう切るね、じゃなくて、切りたくない」

発車ベルが鳴った。郁也はバスへ乗り、窓側の席からスマートフォンを上げる。詩乃は返すはずだったバッテリーを握ったまま、彼へ電話をかけた。

車体が動き出しても通話終了を押さなかった。郁也の声がトンネルで途切れたあとも、画面には〈通話中〉の文字が残った。詩乃はその無音を、初めて自分から終わらせなかった。