凍結口座の父

薬師神史弦は、父の遺産として残るはずの十二年を当てにしていた。住宅ローンの時間利息を払い、妻と子どもを低残高区域から出すには、それしかなかった。

ところが相続窓口で開示された父の口座は、零年零日零秒だった。死の前日まで給付を受けていたのに、全額が匿名転送されている。史弦は隠し子を疑った。父は生前、家族の行事に遅れ、休日も家を空けることが多かった。死んでまで誰かを優先したのかと腹が立った。

匿名転送の解除を求めて訴えると、裁判所AIは受取人の同意があれば用途だけ開示できると答えた。数週間後、史弦の端末へ百三十七件の同意通知が届いた。

受取人はすべて、同じ小児病院の患者だった。

父は清掃員として病院に勤めていた。治療費は公費でも、長い待機時間を耐えるための「付き添い延長」は家族の寿命払いだった。仕事を休めない親の代わりに、父は自分の時間を少しずつ患者へ送っていた。十五分、二時間、三日。最後の十二年は、重い病気の子どもたちが家族と過ごすために分けられていた。

史弦は病院を訪れた。廊下の壁に、父が折った紙の鳥が並んでいた。看護師は「名前を言わない人でした」と話した。

怒りはすぐには消えなかった。史弦も父に時間を分けてほしかった。運動会の一日、進学相談の一時間、ただ食卓に座る十分が欲しかった。善人だったと知っても、寂しかった過去が埋まるわけではない。

帰り際、一人の少女が紙の鳥を渡した。

「おじいさんにもらった三日で、退院して海を見たの」

史弦は鳥を持ち帰った。父を許したのではない。ただ、父の不在に別の意味があることを知った。

翌月から彼は、一分だけ匿名転送を始めた。家族との休日は守り、余った一分を送る。父と同じ生き方はしない。けれど父が残したものを、借金だけで終わらせないと決めた。

史弦は子どもの運動会の日だけは送金を止めた。最前列で声を上げ、帰宅後に一分を病院へ送る。父の善意を受け継ぐことと、父の不在を繰り返すことは違う。紙の鳥は食卓の棚に置かれ、家族がそろうたび少しだけ揺れた。