十三小節目は無音

音楽制作室のモニターに、十二小節だけの譜面が映っていた。

御園琴葉は十三小節目へカーソルを置き、名越剛史はギターを膝に載せ、篠塚楓子はヘッドホンを片耳だけ外している。

「サビは?」と剛史。

「来ない」

「転調は?」

「しない」

「曲としてどうなの」

「退職届だから」

琴葉は四月から会計事務所で働く。家に届いた請求書の束を見て、音楽で食べると言えなくなった。それでも二人は、働きながら作曲するのだと思っていた。

「鍵盤、売った」

「今日使ってるこれ?」

「明日、引き取り」

十二小節の旋律は、一年生の春に三人で作った鼻歌が元だった。剛史は忘れていたが、楓子の録音フォルダには、笑いながら音程を探す三人の声が残っている。

「その音源も消す?」と楓子。

「曲になる前なら残していい」

剛史はプロ志望のバンドへ入る。「俺は客が三人でもライブする」

楓子は録音スタジオへ行く。「私は他人の音をきれいに残す」

琴葉は笑う。「私は数字が合うまで帰らない」

二人は笑わなかった。

剛史が十三小節目にコードを鳴らし、楓子が録音ボタンを押す。琴葉はすぐ停止した。

「続き、勝手に作るなよ」

「曲は三人のだろ」

「十二小節まではね」

最後に一度だけ再生する。ピアノが短い旋律を繰り返し、ギターが入る直前で終わる。終止形を避けた和音が、次を待つように部屋へ残った。

琴葉はプロジェクト名を〈退職届〉に変えて保存した。剛史と楓子が廊下へ出たあと、中央のCを一度押す。音は出ない。以前から壊れていた鍵だ。

楓子はメトロノームを止め忘れていた。曲が終わっても、機械だけが一定の拍を刻む。剛史が電源へ手を伸ばすと、琴葉は『それは止めなくていい』と言った。音楽をやめる自分と、時間まで止めることを、同じにされたくなかった。楓子は手を引き、剛史も拍に合わせず立ち上がった。

キーボードの前には琴葉の折り畳み椅子だけが残った。画面では十三小節目のカーソルが、無音の続きを書くように規則正しく点滅していた。