十三階にない部屋
母の介護を理由に、海外赴任を断った。
誰も強制しなかった。けれど十年たつうち、私は断った人生を母のせいにするようになった。母が礼を言うほど腹が立ち、自分で選んだとは思えなくなった。
市役所の十二階へ手続きをしに行った日、エレベーターで「閉」と「十二」を同時に押した。
表示に十三が現れ、扉が開いた。
そこは、海外赴任を受けた私の住む部屋だった。
窓の外には外国の高層ビル。机には現地の言葉で書かれた契約書。写真の私は、同僚たちと笑っている。
母の姿を探した。
壁に、母が地域の合唱団で歌う写真があった。車椅子ではなく、杖をついて中央に立っている。
私がいない世界で、母は近所の人へ助けを求め、訪問介護を使い、弟とも話し合ったらしい。私に任せきりだったのではない。私が「自分がやる」と、他の手を遠ざけていた部分もあった。
テーブルには、母から届いた手紙があった。
「あなたがいなくて寂しい。でも、あなたがいると甘えてしまう。どちらも本当です」
向こうの私は、その手紙の上に辞表を置いていた。
仕事は成功したが、母の手術に間に合わなかった。帰国すべきだったかと、同じように別の道を恨んでいる。
窓ガラスに、二人の私が重なった。
私は介護で失ったものを数え、彼女はそばにいなかった時間を数えている。
どちらも母を愛し、どちらも母を言い訳にしていた。
エレベーターの到着音が鳴った。
部屋が薄れ、扉の向こうは十二階の廊下へ戻った。
帰宅して、母に海外の話をした。
初めて、行きたかったと口にした。
母はしばらく黙り、「知ってた」と言った。
「じゃあ、止めてよ」
「止めたら、私のせいにするでしょう」
二人で笑い、少し泣いた。
翌月から、弟と介護の日を分け、地域のサービスも増やした。
私は夜の語学講座へ通い始めた。赴任の話はもうない。それでも、使わなかった言葉を今から覚えることはできる。
市役所のエレベーターには十三階の表示がない。
十二階を押すたび、私は母の手紙を思い出す。
寂しいことと、進んでほしいことは、同じ心に並んでいてもよかった。
講座の発表会には、母が車椅子で来た。私は外国語で「私の家族は、私を引き止め、同時に送り出す」と話した。文法を一つ間違えたが、母だけは大きく拍手した。
帰りのエレベーターで母が「十三階も見てみたい」と冗談を言った。私は閉と十二を押さず、一階を選んだ。
扉が開いた先には、弟が車で待っていた。誰かに任せることも、離れることも、見捨てることではなかった。