午後四時の青い傘
堀川芽依は、午後四時になると自宅へ帰れなくなる。
最寄り駅からアパートまで十分。けれど商店街の角を曲がると、背後に誰かがいる気がして足が止まる。三年前の冬から続いているのに、その日に何があったのかだけが抜けていた。引っ越しも考えたが、怖い理由が分からないまま逃げれば、次の町でも午後四時に立ち止まりそうだった。
雨谷千景の店では、天井から青い傘が逆さに開いていた。晴天でも閉じない。黒い和服姿の千景は、傘の下で芽依の古い腕時計を磨いた。
「影を濡らさないで」
それが説明らしい。傘の内側には、住所ではなく、交番や深夜営業の店の名前が細かな字で書かれている。千景は見られたことに気づくと、傘を半回転させて文字を隠した。
「私、つけられていたんでしょうか」
「先に結論を欲しがる人は、だいたい自分を犯人にする」
千景の声は冷たい。だが、芽依が入口のベルに肩を震わせると、青い傘を少し傾け、外から店内が見えないようにした。
腕時計は毎日、午後四時で日付だけが一日進む。千景が針を戻すと、冬の商店街が傘の内側へ映った。
背後の足音。速くなる呼吸。角を曲がっても消えない気配。芽依は交番ではなく、小さな花屋へ駆け込んでいる。
店員の女性はシャッターを半分下ろし、青い傘を入口に立てた。見知らぬ男が通り過ぎるまで、芽依の隣で黙って花の水を替えていた。
「私、助けてもらった」
「同時に、自分でも店を選んだ」
千景は地図に、駅から家まで営業中の店を青鉛筆で印した。花屋はもうない。それでも、コンビニ、薬局、クリーニング店が点々と続く。
「怖くなくなる修理じゃないんですか」
「怖さは警報です。音量だけ下げました」
時計は午後四時を越えて動き始めた。
会計後、千景は天井の青い傘を外して芽依へ渡す。
「店の飾りでは?」
「影を濡らさないためのものです」
外はまだ晴れていた。芽依は傘を開き、青い影の中を歩く。商店街の角で足音が近づいたが、薬局の明かりを確かめ、立ち止まらずに進んだ。
その傘は恐怖を隠すためではない。助けを求められる場所まで、自分の影を連れていくための屋根だった。