呪われた王子の無音せんべい
王城の裏門にある食堂《しじま》では、店主カナエが「音のしない料理」を売っていた。夜警や密偵向けに考えたが、客からは食べた気がしないと不評で、棚の白いせんべいは減らない。
深夜、窓から黒衣の青年が入ってきた。腰には王家の短剣。名乗ったのは第三王子ヴェイスだった。
彼の影には、耳だけが異様に大きい魔獣が貼りついている。《反響喰らい》という呪いで、乾いた音を一度でも立てれば実体化して喉へ噛みつく。夜明けまでに王妃の部屋へ証拠の鍵を届けねばならないが、二日何も食べておらず、腹の音まで大きくなっていた。
「噛めない。匙が皿に触れる音も駄目だ。匂いの強いものは衛兵犬に知られる」
カナエは棚から《無音せんべい》を一枚取った。米粉を泡のように焼き、表面だけを乾かした白い円盤。見た目は硬そうだが、指で挟んでも音が出ない。
ヴェイスは影を見てから、慎重に口へ入れた。
せんべいは歯に触れる前に、舌の上で雪のようにほどけた。ぱりっ、という音はない。塩気と焼き米の香りだけが広がり、喉へ落ちる。空腹で引きつっていた胃が、温かな粉を受け取って静かになった。
影の耳がぴくりと動く。しかし獲物となる音はない。
二口、三口。王子は初めて息をついた。食べ終えても指に油は残らず、衣に匂いも移らない。廊下を走っても、腹は鳴らないだろう。
「本当に、料理なのだな」
「音がしないだけで、食べたことは消えません」
ヴェイスは笑いかけ、影の耳が動いたので慌てて口を閉じた。それでも顔色には血が戻っている。彼は王家の銀貨を一枚、布で包んで静かに置いた。
「夜明けまで店を開けておけ。戻れたら、同じものを二十枚頼む」
「戻れなかったら?」
「この銀貨で、窓を直せ」
来たときと同じ窓から、王子は闇へ消えた。
カナエは灯を落とさず、白いせんべいを焼き続けた。夜明け前、裏門の処刑鐘ではなく、王妃の招集鐘が三度鳴る。直後、正面の扉が音もなく開いた。
ヴェイスは首に切れた黒い影を巻きつけ、指を二本立てた。
「二十では足りない。王城の夜警全員分だ」