声の届かない避難所
台風の夜、市役所の防災メールは「送信完了」と表示した。
情報政策課の砥上凛太は、避難所開設の通知を出した直後、庁舎の窓から暗い住宅地を見た。普段なら数分で鳴るはずの家族の携帯が、沈黙したままだった。
担当者は送信ボタンをもう一度押そうとした。凛太はその手を止め、配信ゲートウェイのキューを開いた。送信完了とは、市役所のシステムから外へ渡したという意味にすぎない。その先で三万件が詰まり、数字は減っていなかった。
通信会社の回線が混雑し、届かないメールを自動リトライしている。ここで再送すれば、新しい三万件が列の後ろに積まれ、本当に急ぐ次の警報まで遅れる。
「同じ文面は送らない。別の道を使います」
凛太は防災無線、地域FM、消防団の連絡網へ文面を分けた。メールには新規送信を重ねず、キューのリトライ間隔を広げる。避難所名を全部読み上げる時間はないため、川沿い三地区だけを先に放送し、その他は市の固定電話案内へ誘導した。
課長は「全市一斉でないと不公平だ」と言った。
「川は公平に増水してくれません。危険な順で出します」
十分後、消防団から「高齢者宅への声かけ開始」と返った。代表電話には、メールが届かない住民からの問い合わせが増え始める。凛太は電話担当へ、避難所名より先に現在地と川からの距離を聞く短い台本を渡した。地域FMではアナウンサーが同じ避難所名を繰り返している。やがてキューの数字も、三万から二万九千九百九十九へ動いた。
凛太は届いたことを喜ばず、古い情報が遅れて届く危険を見た。避難所が満員になった後で「開設」と届けば、人を危険な道へ向かわせる。メール本文の先頭に有効時刻を加え、満員になった施設は次の更新で明示するよう手順を変えた。
午前二時、最初の地区で避難が完了した。
その直後、県から新しい地図が送られてくる。山側で土砂災害の兆候が出たという。
凛太は送信画面を閉じ、無線のマイクを取った。届く仕組みが壊れた夜ほど、人の声は古くならなかった。