夢の修理屋
古い映画館の裏に、「夢、修理します」と書かれた店があった。
売れない小説家は、書けなくなった夢を持ち込んだ。
夢は目に見えないはずなのに、店主は胸元から紙の束を引き出した。
原稿用紙の間には、賞の名前、売上順位、読者の拍手、批評家の称賛が糸で縫い付けられている。
「壊れているのは夢ではなく、飾りです」
「それを取ったら、何のために書くんです」
「修理代は、想像していた観客を全部置いていくこと」
小説家は迷った。
誰にも読まれないなら、書く意味がない。
けれど今も誰にも読まれていないのに、飾りだけは重く、原稿を開けなかった。
店主が糸を切った。
賞も順位も拍手も床へ落ちた。
残ったのは、最初の一頁と、子どもの字で書かれた短い感想だった。
「この犬、次はどうなるの」
十年前、姪に読ませた未完成の物語。
姪は続きを待っていたが、小説家はもっと立派な作品を書くと言って放置した。
それが最初に壊した夢だった。
家へ戻り、犬の続きを書いた。
賞向きの題材ではない。
文章も古く、構成も単純。
それでも次の場面が浮かんだ。
姪はもう大学生だった。
原稿を送ると、
「まだ生きてたんだ、この犬」
と返事が来た。
その一言で、二十頁書けた。
小説家は毎晩少しずつ書いた。
途中で、やはり読者の反応が欲しくなった。
店へ置いてきた拍手を取り戻そうと、路地を探した。
夢の修理屋は見つからない。
代わりに小さな図書室があり、子ども向けの読み聞かせ会をしていた。
試しに犬の物語を読んだ。
途中で子どもが席を立ち、別の子は眠り、一人だけ最後まで聞いた。
拍手はなかった。
最後の子が聞いた。
「続きは?」
小説家は笑った。
「まだない」
「じゃあ、書いて」
想像していた観客は、大勢で同時に称賛した。
目の前の一人は、続きを要求するだけだった。
その方がずっと重く、逃げられなかった。
犬の物語は小さな冊子になった。
売れた数は少ない。
賞にも出さなかった。
けれど図書室の本は何度も借りられ、角が丸くなった。
夢はかなった、と言い切るほど立派ではない。
ただ、壊れた飾りを外すと、中からまだ動く部分が出てきた。
小説家は次の作品を書く前に、机の前の空席を一つだけ思い浮かべる。
そこに座る誰かが、拍手ではなく、
「次は?」
と聞いている。