夢王の枕
「枕はお一人一つです」
眠りを売り物にする宿〈宵綿亭〉で、女主人シェルナは毎日、羽毛を干し、枕袋の糸を確かめ、客の好みに合わせて高さを変える。魔法の香も歌も使わない。それでも泊まった者は不思議とよく眠れた。泣き続ける赤子も、賞金首に追われる盗賊も、ここでは朝まで一度も目を覚まさない。宿帳には眠れなかった客の名が一人もなかった。
不眠に苦しむ騎士ユーデルだけは、三晩たっても目の下の影が消えなかった。戦場で仲間を失った夢が、眠るたびに続きを見せるのだ。剣を置いても耳には号令が残り、夜明けには握った拳から血がにじんでいた。
四晩目、彼がまどろむと、天井から黒い王冠が降りた。夢喰王。悪夢を食うのではなく育て、人の心が壊れたところで魂をさらう怪物だった。王冠の下に無数の顔が浮かび、ユーデルの胸へ潜ろうとする。
枕元へ来たシェルナは、替えの枕袋を一枚持っていた。
「縫い目が開いていますね」
袋を裏返す。
すると部屋全体が一瞬、布の内側になった。夢喰王の宮殿も軍勢も、ユーデルの戦場も、すべてが白い枕袋へ滑り込む。失った仲間の顔だけは吸い込まず、柔らかな光に変えて騎士の胸へ戻した。シェルナが口をひと結びすると、王の絶叫は羽毛の沈む音に変わった。
半分眠ったユーデルだけが見た。結び目に、大魔法使い〈夜編み〉の星印が浮かんだのを。かつて一国を覆った悪夢を朝までに縫い閉じた、伝説の術者の印だ。
「あなたは……ずっと、この宿で?」
「寝具を整えております」
シェルナは床にこぼれた黒い砂を小箒で集め、枕袋ごと古い長持へしまった。天井の染みも、剣を握ったユーデルの手の傷も消える。長持の中からは怒った王の声がしたが、シェルナが上へ予備毛布を一枚置くと静かになった。隣室からは寝返り一つ聞こえなかった。
翌朝、ユーデルは十年ぶりに夢を見ず目覚めた。胸に戻された光の中で、仲間たちは責めずに笑っていた。隣の椅子には、王冠の刺繍が入った新しい枕が一つ。彼がもう一つ欲しいと頼むと、シェルナは穏やかに首を振った。
「枕はお一人一つです」