履歴書を置く幅

使われなくなった歯科医院を借りた居場所には、机がなかった。食事も書類も床で済ませる。求人票へ字を書くたび、紙に畳の目が写った。

井川斉史は困らないと言った。履歴書を出す予定がないからだ。身元保証人の欄で何度も断られ、住所欄にはネットカフェを書いてきた。

ある日、叶野千尋が診察室の古い扉を外した。

「これ、天板にする」

「大家に怒られる」

「取り壊す部屋のだからいいって」

二人は扉から金具を外し、表面を紙やすりで削った。歯科器具の名前を書いたシールが、白い粉になって消える。脚には廃校から来た机を二台使った。高さが違うため、斉史が木片を切り、千尋が水平器を見た。

「右、三ミリ」

「そっちの床が沈んでる」

「机は床に合わせるの」

「人間も?」

「人間は知らない」

最後に透明なニスを塗ると、古い扉はそれらしい机になった。ただ、中央に丸い穴が残った。もともとのドアノブ跡だ。

千尋はそこへ延長コードを通し、充電器を四つ差した。斉史は自分の端末をつなぐ。残高は少なく、家族からの着信は拒否したままだった。

机ができると、住人たちは順番に用事を持ち込んだ。奨学金の猶予申請、携帯料金の分割相談、読めない契約書。斉史は木工が得意というだけで、紙を押さえる係になった。千尋が椅子を二脚並べたため、一人が失敗しても次の人が座れる。ドアノブ跡の丸い穴には、消しゴムのかすが少しずつ落ちた。

翌朝、机の端に求人票と履歴書が置かれていた。千尋が勝手に用意したものではない。前夜、斉史自身が相談窓口でもらってきた紙だ。

住所欄の前でペンが止まる。ここは施設名も表札もない。斉史は町名と番地を書き、最後に〈旧ひかり歯科 二階〉と足した。

斉史は天板の端へ浅い溝を一本削り、転がるペンを止めた。次に座る者が、住所欄の前で手を離しても、床まで落ちない深さにした。

書き終えた履歴書を折らずに置ける幅が、机にはあった。斉史は帰りが遅くなると思い、充電器に自分の名前を書いたテープを巻いた。