左右の違う木型

高級靴メーカーで、小楠航平は左右別々の木型を作った。

人の足は対称ではない。立ち方、古傷、親指の向きまで見て木を削るから、一足に十日かかった。営業部長の黒岩昌則は、三次元計測機を導入すると真っ先に航平の工房を閉じた。

「機械なら十五分だ。木を撫でて日を潰す給料泥棒は要らない」

航平が解雇された翌月、会社は「完全デジタル仕立て」を大々的に売り出した。

見た目は美しかった。だが長時間立つ客から、踵が抜ける、片足だけ痺れるという苦情が相次いだ。計測機は静止した足を正確に写しても、歩いたとき土踏まずが沈む量までは読めなかった。

黒岩は中敷きで調整させた。厚くするほど靴は浅くなり、さらに踵が浮いた。長年の法人顧客だった航空会社は、新制服用三万足の発注を保留した。試験参加者の半数が勤務後に足を冷やしているという報告が、調達責任者の机へ届いた。

航平は郊外の修理店へ移り、店主と二人で新しい木型を作っていた。航空会社の客室乗務員から、十二時間履いても痛くない靴を相談される。航平は機内と同じ傾斜の床を作り、歩幅を測り、左右で踵の高さを変えた。

試験運用の一か月、乗務員から痛みの申告は一件もなかった。急停止を想定した訓練でも踵が浮かず、若手とベテランの双方から同じ評価を得た。むしろ休憩中に靴を脱ぐ人が減り、転倒事故もなくなった。

最終選定会で、黒岩は旧会社の生産力を強調した。

「三万足を個人の木型職人に任せるのは危険です」

航空会社の調達責任者は、試験参加者百人の足圧データを映した。旧製品では赤い圧点が片側に集中し、航平の靴では均等に散っていた。

「量産は提携工場が行います。設計基準は小楠さんが作りました」

責任者は新会社設立の資料を開いた。修理店は靴メーカーへ改組され、航平が技術代表になっていた。

「私たちは左右同じ靴を三万足欲しいのではありません。三万人が最後まで立てる靴を求めています」

発注確定の表示が点灯し、黒岩の会社の保留案件は正式に失注へ変わった。