投函されなかった頁

 小田巻杏は、古書喫茶「郵便馬車」の文章作法棚から、手紙の文例集を抜いた。

 礼状、見舞い状、断り状。印刷された文面は堅苦しく、今の生活で使う機会はなさそうだった。けれど「謝罪の手紙」の章だけ、余白が鉛筆で埋まっている。

「悪気はなかった、を消す」

「でも、を入れない」

「許してほしい、は相手に仕事をさせる」

 何度も書き直した跡のあと、頁の半分が丁寧に切り取られていた。次の頁へ薄く写った筆圧から、最後に一通を書き上げたらしい。下端には「書いたら半分。渡したら残り半分」とある。

 杏には、半年連絡を取っていない友人がいた。二人で考えたイベント企画を、杏が社内提案へ自分一人の案として出した。締切が迫り、説明する時間がなかった。採用後に伝えればいいと思ったが、友人は別の人から知った。

 杏は何度も謝罪文を作った。

「結果を出したかっただけで、悪気はなかった」

「私も追い詰められていた」

「でも、一緒にやりたい気持ちは本当だった」

 どれも自分を軽くするための文章に見え、送れずにいた。謝らないままなら、完全に悪い人にならずに済むような気さえした。

 閉店七分前。店主は文例集を会計台へ置き、古い封筒のような生成りの包装紙を広げた。本を包んだあと、いつもの店名シールを貼ろうとしてやめる。糊のない部分へ紙の端を差し込み、封をしていない封筒の形に整えた。開くのにも、閉じたままにするのにも、杏の指一本で足りる。

 店主はレシートを包みの外へ出したまま渡した。そこには、返品期限ではなく、今日の日付だけがはっきり印字されていた。

 杏は席へ戻り、下書きをすべて消した。

「企画を自分だけのものとして提出しました。あなたが考えた部分を、私の実績にしました。ごめんなさい。社内には共同案だったと訂正します」

 許してほしいとは書かなかった。返事を求める言葉も足さない。

 送信後、杏は続けて上司への訂正メールを作った。友人から返事が来なくても、こちらは送らなければならない。

 店を出るとき、包装紙の差し込みが鞄の中で外れた。文例集の切り取られた頁が少しだけ見える。

 杏は包み直さなかった。まだ半分しか終わっていないことを、そのまま持ち帰った。