拍手を三回
失踪した歌い手の曲は、拍手がなければサビへ進まなかった。
野外フェスの音響主任・千草景虎は、再生画面に出た指示を見た。
「手を叩いて」
半年前、メイン歌手の香鐘リラは同じ会場のリハーサル後に消えた。防犯映像では一人で裏口を出ているが、その先の記録がない。主催者は事件性を否定し、今年のフェスで追悼曲を流すと発表した。曲のデータは、リラが失踪直前に自動送信したものだった。ファイルには再編集禁止の署名があり、主催者でさえ中身を確認できないまま採用していた。
イントロが終わる。伴奏はAメロの入口で止まり、客席の拍手を待つ。
「手を叩いて」
景虎が合図すると、数千人が三回手を打った。会場の集音マイクが反響時間を測り、画面に立体的な波形を描く。二回目は五回、三回目は二回。曲は少しずつ進み、そのたびに地下のどこかから遅れた反射音が返った。
景虎は違和感を覚えた。屋外会場なのに、低い帯域だけが密閉空間のように響いている。反射位置を地図へ重ねると、使用禁止になった旧機材庫の真下だった。
サビに入る。拍手の衝撃が床を伝い、地下へ届く。今度は反響ではなく、内側から三回叩き返す音がした。
主催者が音響卓へ駆け込み、演出を中止しろと叫ぶ。景虎が拒むと、彼は「下には何もいない」と口走った。誰も地下の話などしていない。
客席のスマートフォンが一斉に録画を始める。景虎は曲を最大音量へ上げた。キックの低周波に合わせ、旧機材庫の電子錠が震える。リラは失踪前、会場設備の共振周波数を調べていた。一定回数の衝撃で、故障した非常解錠装置が動くよう曲を設計したのだ。
最後の一音と、観客の大きな三拍が重なる。
舞台脇の床下で、錆びた扉が開いた。暗い階段の奥から、細い腕が伸びる。警備員と救急隊が駆け寄り、痩せたリラを引き上げた。
スピーカーには、事前に録られた三度目の声が残る。
「手を叩いて」
喝采を求める煽りではない。届かない地下の扉を、何千人もの手で外から叩き開けてほしいという救助要請だった。