救急車の中の偽物

唐沢惣介は毎朝、共有スクーターのカメラへ顔を向ける。本人確認が済むとハンドルが起き、料金が走り出す。その日も妹の千緒へ忘れ物を届けるため、いつもの車体を借りた。

交差点で配送車が突っ込んできた。

惣介が目を開けたとき、救急車の天井が揺れていた。頬は裂け、右目は腫れて開かない。救命士が薬剤ケースを前に端末を構える。

「凝固剤を使います。本人確認を」

高額な緊急処置には、一つだけ条件がある。投与前に患者本人が生映像判定を通すこと。偽患者へ薬を横流しする事件が続いたためだ。

青い線が惣介の顔をなぞり、赤く弾けた。

《顔貌改変を検出。本人ではありません》

「事故で変わったんだ」

「再判定します」

二度目も赤だった。モニターの血圧が下がる。救命士は薬を戻しかけた。

同乗していた千緒が、惣介の端末を奪った。

「兄ちゃん、昔使ってた配信フィルター、残ってる?」

彼女はカメラ映像へ、事故前の惣介の顔を重ねた。裂けた頬が消え、両目が開き、健康な兄が担架の上で笑う。

判定が緑になった。

《唐沢惣介本人と確認。投与を承認します》

薬が腕へ入り、警告音がゆっくり止まった。惣介は千緒の手を握った。

「助かった」

病院に着くと、受付端末は惣介を通さなかった。さきほど認証された健康な顔が、最新の本人像へ更新されていたからだ。傷ついた生身の顔は、合成の失敗例と判定された。

千緒がもう一度フィルターを起動しようとすると、端末が強制終了した。

《本人映像の不正加工を検出。唐沢惣介を騙る二名を通報しました》

警備員が二人を取り囲む。惣介は薬のおかげで立てたが、患者としては存在できない。

診察室の扉が開き、看護師が名前を呼んだ。

「唐沢惣介さん」

壁の画面に、傷一つない惣介が表示される。誰も立ち上がらないので、看護師は首をかしげた。

端末には、処置費の決済通知だけが届いた。

《本人の口座から引き落としました。未確認者は院外へ退去してください》

惣介は自分を救った偽物の顔に見送られながら、千緒と外へ押し出された。