星を見ない町へ
「天文台の観測会、最後に一度だけ手伝ってもらえませんか」
電話の向こうで、知らない女性が言った。
紬希の故郷にある小さな天文台は、秋で一般公開を終えるらしい。高校時代にボランティア名簿へ名前を残していたため、連絡が来たのだという。
紬希は窓の外を見た。東京の夜空は明るく、星はほとんど見えない。だから帰りたいのだ、と一瞬思った。きれいな理由は、決断を急がせる。
机には二枚の葉書があった。一枚は天文台から届いた観測会の招待状。もう一枚は、東京の写真教室から届いた次期講座の申込案内。どちらも日程は同じ土曜日だった。
故郷へ戻る計画は、半年前から立てていた。だが計画表には、町の良いところしか書いていない。夜空、静けさ、古い坂道。雨の日の長さも、閉まる店の早さも、知っている人と知らない人の境目が曖昧な息苦しさも、書かなかった。
電話口の女性が、「曇天なら、星は見えません」と付け加えた。
紬希は思わず笑った。星を見るための帰郷なのに、星が見えないかもしれない。それでも手伝うのかと問われている気がした。
高校時代の紬希なら、晴天率や流星群の日程を調べ、いちばん条件のいい夜を選んだだろう。今は、条件がそろうまで待っているうちに十年が過ぎたことを知っている。曇りを受け入れるのは前向きさではなく、天気に決断を代行させないためだった。
「曇っても行きます」と答えた。
電話を切り、写真教室の申込案内を裏返す。白い面に、帰郷後の一週間を書き出した。観測会、役所、部屋探し。予定のない日も三日残した。星の見えない夜にすることは、まだない。
観測会当日、空は予報どおり曇った。来場者は少なく、紬希は子どもたちに望遠鏡の触り方だけを教えた。誰も宇宙を見られなかった。
終了後、スタッフから天文台の古い鍵と、新しい倉庫の鍵を見せられた。「資料だけ、町の施設に移すんです」
紬希は古い鍵を記念にもらわず、新しい倉庫の運搬日を手帳に書いた。
見えなかった星を帰郷の失敗にしない。
閉じる場所ではなく、これから荷物を運ぶ先に、自分の時間を使うと決めた。