最終便の搭乗口

地方行き最終便の搭乗開始まで、十二分だった。

 空港の運航管理室を出た知花は、保安区域手前で仁志に社員証ケースを渡した。

「ロッカーに残ってた」

「もう返却したつもりだった」

「裏に、私用のカードが入ってる」

 仁志は今日で退職し、父親の介護のため故郷へ戻る。知花は半年間、隣の席で手続きを手伝った。引っ越し業者も、介護休業の制度も、彼より詳しくなった。

 それでも好きだと言えなかった。その言葉が、故郷へ帰る選択を試すものになるのが嫌だった。残るか、父を選ぶか。そんな二択を愛の証明にしたくなかった。

 仁志は退職願を書き直すたび、「迷ってるわけじゃない」と言った。知花はそのたび、介護タクシーの資料や役所の窓口時間を無言で印刷した。引き止める代わりに、帰りやすくすることしかできなかった。制服の胸には、彼が昔なくしたボールペンを挟んでいる。返せば理由がなくなると思い、半年も黙って使った。保安扉の向こうでは、係員が搭乗客の人数を数え始めていた。知花の腕時計は、仁志が電池を替えてくれた日から一度も遅れていない。今夜だけ、その正確さが恨めしかった。

「搭乗、間に合います」

 知花は時計を見た。

「最後まで業務口調だね」

「制服だから」

「空港を出たら、違う?」

 あと九分。出発便のアナウンスが天井から降る。

「向こうで仕事、見つかりそう?」

「まだ。しばらくは家のことだけ」

「そう」

「連絡、していい?」

「間に合います」

 二度目は、答えになっていなかった。

 仁志は苦笑する。「何に?」

「搭乗に」

「その先は?」

 知花は彼の社員証ケースを開き、裏に入っていた個人名刺を取り出した。捨てるつもりなら、わざわざ残さない。

 優先搭乗が終わり、一般搭乗の列が短くなる。あと四分。

「間に合います」

 三度目だけ、仁志を見て言った。

「帰って、生活を作って、それからでも。私たちは間に合うと思う」

 仁志が何か言う前に、知花は保安区域の扉を開けた。

 彼を通したあと、個人名刺の番号を自分の携帯へ登録する。会社名の欄は空白にした。