月を一滴だけ売る瓶屋

地下都市には夜がない。

それでも瓶屋〈夜汲み〉は、地上の月が昇る時刻にだけ開いた。客のいない夜も、店主のキリエは天井の向こうの月齢を違えず、瓶を一本だけ窓辺へ置く。店主のキリエが棚へ青い小瓶を置くと、土まみれの庭師ドリスが飛び込んでくる。

「月光を、一晩分だけ売ってください」

彼女が持つのは、王妃から預かった夜咲き花の種。明朝の式典までに咲かせなければ、地下庭園の職を失う。人工灯では芽を出さず、地上へ運べば朝までに間に合わない。失敗すれば「土しか触れない者に庭園は任せられない」と、貴族の飾り係へ席を奪われる。

キリエは青い小瓶を指先で回した。中では銀色の光が、水のように揺れている。

「一晩分は売れません。〈月雫〉は一滴だけです」

「一滴で足りますか」

「花が欲しい月を、種が覚えていれば」

ドリスは鉢を台へ置いた。乾いた土の中央に、何も起きる気配のない種が埋まっている。

瓶の栓を抜くと、店内の灯りがすべて細くなった。キリエが一滴落とす。銀の雫は土へ消えず、丸い月となって鉢の中へ沈んだ。

まず小さな芽が土を割った。茎は時計の針よりゆっくり伸び、つぼみを一つだけ結ぶ。花びらが開くと、地下の天井へ満月の影が映った。香りは冷たい石の街を抜け、遠い地上の夜風まで連れてくる。つぼみの付け根には、ドリスが毎日与えた肥料の色が年輪のように残っていた。月光だけの手柄ではない。

ドリスは花を見つめたまま、膝から力を抜いた。

「私の育て方が悪いんじゃなかった。光が違っただけなんだ」

雇い主に無能と罵られ続け、種へ謝っていたらしい。彼女はもう謝らず、土の湿り具合を確かめ、鉢を抱え直した。

代金は金貨一枚。ドリスは迷わず置き、さらに空の小瓶を三本並べる。

「同じ月雫を三滴、来月までに。今度は命令された花じゃなく、私が選んだ種を咲かせます」

キリエは注文札へ三つの月を描いた。

庭師が花の月影を連れて階段を上り、地下街がまた石灯りだけへ戻る。その暗さの中で、入口のベルが、星のように一度きらめいた。