未来社長の一票

午後六時十二分、仁科蒼太の社用端末に通知が届いた。

〈四十六歳の社長である君より。無効票を一枚、青票へ戻せ〉

子会社売却を決める臨時株主投票。青は賛成、白は反対。若手法務の蒼太は、透明な投票箱を再集計していた。賛成四十九、反対四十九、無効一。議長が言う。

「再集計します。判断は仁科君に任せる」

無効票には、青い丸が枠から一ミリはみ出している。社内規則では無効にも有効にもできた。蒼太が青票へ加えると売却は可決され、スマートフォンに未来の社長就任記事が開いた。次の瞬間、議長の声へ戻る。

「再集計します」

透明な箱、青いボールペン、枠から一ミリの丸。

二度目は無効のままにした。今度は売却否決の記事が出た直後に戻った。三度目は株主へ確認を取ろうとしたが、本人はすでに退室している。差分を試しても、票が確定するたび六時十二分へ戻る。

未来の自分は二度、同じ文を送った。

〈青へ戻せば、君は社長になる〉

添付された十五年後の社内報では、蒼太が改革者として笑っている。売却された子会社の名は消え、五千人の配置転換は小さな脚注になっていた。さらに奥の資料には、売却先が蒼太の未来の個人会社へ特許を譲渡した記録がある。

成功条件は売却可決ではない。曖昧な一票を自分の出世へ使った蒼太を、未来に誕生させることだ。

十一回目、議長が言った。

「再集計します。判断は仁科君に任せる」

蒼太は青いボールペンを置いた。

「この一票は判定できません。ですから、投票そのものを無効にします」

定款の利益相反条項を読み上げ、未来通知と譲渡記録を会場スクリーンへ映す。まだ存在しない会社名も、未来の日付も、説明できない。蒼太自身が投票妨害と機密漏洩を疑われるのは確実だった。

〈黙れ。お前の席がなくなる〉

「その席に座るための一票なら、いらない」

彼は再投票請求書へ署名し、法務担当者としての権限を返上した。議長が採決中止を宣言する。透明な箱は封印され、青票も白票も数ではなくなった。

午後六時十三分。時計が進む。

社用端末から「代表取締役就任予定」の未来記事が消え、代わりに現在の人事画面で蒼太の異動欄が〈審査中〉へ変わった。

彼は枠から一ミリはみ出した票を封筒へ入れた。その一ミリを、自分の未来へ足すことだけはしなかった。