株式譲渡の午前九時
真鍮色の入館カードが、会議卓の中央に置かれた。
「会社を守るために、株を一時的に預けてほしい」
共同創業者の榊冬馬は、前の人生と同じ声音で言った。
開発責任者の水城環は、資金繰りに追われていた。冬馬が持ってきた株式譲渡契約には「融資成立後に返還」とあった。環は署名した。翌日、取締役を解任され、彼女が十年かけて作った医療AIは競合へ売られた。
契約書の返還条項は、別紙がなければ無効。別紙など最初から存在しなかった。
会社が事故の責任まで環に押しつけて倒産した夜、サーバー室で眠ったはずの彼女は、午前九時の会議卓へ戻っていた。
同じカード。同じ契約書。同じ、冬馬が淹れた薄いコーヒー。
「今日中に決めないと社員を守れない」
前回、その一言が環の手を動かした。
「社員を守るためなら、株ではなく融資契約を見せて」
冬馬の視線が泳ぐ。
「機密だから、まだ君には――」
「筆頭株主になる私には見せられないのに、株だけ渡せと?」
環は契約書を閉じた。
「譲渡しません」
冬馬は真鍮色のカードを叩く。
「君は技術しか分からない。経営判断を邪魔するなら、全員が路頭に迷うぞ」
「そのカード、誰の入館履歴が入っていると思う?」
会議室の端末へカードを当てる。昨夜二時、冬馬が競合企業の役員二人をサーバー室へ通した記録が映った。前の人生では、環の解任後に削除された証拠だ。
さらに画面へ、持ち出された設計資料の一覧が並ぶ。
同席していた投資会社の監査役が顔を上げた。
「榊さん。今日は資金調達の説明会と聞いていましたが、事業売却の準備をしていたのですか」
「誤解です。環がログを改竄して――」
環はカードを裏返す。監査用の封印シールは無傷だ。改竄できない。
冬馬は契約書を掴んで破ろうとした。だが電子提出済みの画面には、彼が競合と結んだ秘密売却契約まで紐づいていた。
《利益相反を検出》
《榊冬馬の議決権を一時停止》
前の人生では九時十五分、環の社内アカウントが消えた。
時計がその時刻を示す。
端末が鳴った。
《緊急取締役会決議:水城環を代表取締役に選任》
真鍮のカードは、今度は環の名で緑に光った。