検索欄のお姉ちゃん
千景は母とのチャットを開き、検索欄に「お姉ちゃん」と入れた。
百三十七件。
〈お姉ちゃんなんだから弟に言って〉
〈お姉ちゃんが先に謝って〉
〈お姉ちゃんだけは分かってくれるよね〉
新しい順に並ぶ言葉は、どれも千景の名前を使っていなかった。
今日届いたのは、弟が正月の集まりを断ったという話だった。
〈お姉ちゃんから説得して。私が言うと角が立つから〉
千景は台所で一人分のうどんを煮ていた。湯が沸く間に、母の文章を何度も読み返す。弟へ連絡すれば、母は安心する。弟はまた千景を「母さん側」と思う。その間に立つことが、長女の席だとされてきた。
検索結果を閉じ、千景は返信した。
〈今日は、お姉ちゃんとしては返事しない〉
母から〈どういう意味?〉。
〈千景として話すね〉
〈弟の予定は弟に聞いて。私は説得しない〉
既読がついたあと、電話の着信が来た。千景は鍋の火を弱め、切った。
〈電話だと同じ話になるから、今日は文字で〉
母は長い文章を打ってきた。家族がばらばらになる、昔は仲が良かった、千景だけが頼りだ。その最後にも〈お姉ちゃんでしょう〉とあった。
千景は一行だけ返した。
〈私は家族だけど、調整役ではないよ〉
しばらくして、弟のアイコンが家族チャットで光った。母が本人へ〈正月どうする?〉と尋ねている。ぎこちない一文だったが、千景を通っていなかった。
さらに母から個別に届く。
〈千景、夕飯は食べた?〉
名前で呼ばれたのは、何か月ぶりだろう。
〈今、うどん〉
検索結果には、大きな頼みだけでなく、〈お姉ちゃんは辛いもの平気だよね〉〈お姉ちゃんは後でいいよね〉も並んでいた。食卓の席やケーキの味まで、役割が先に決めていた。千景は百三十七件を削除しなかった。消せば楽になるのではなく、また同じ呼び方を当然と思ってしまいそうだった。数を見たことで、気にしすぎではないと初めて分かった。
千景は卵を落とした。白身が鍋の中でゆっくり固まる。百三十七件の呼び名は消えない。それでも次の一件には、自分の名前が残った。