残業で増える年
鳥越峻平は退勤前、残業端末に今日の時間を申告する。三時間残業で、寿命六時間。現金手当より人気があった。画面の残量が増えると、疲労まで報われた気がした。
ただし増えた時間には《仮》の文字が付く。
会社が支給する残業寿命は、担当案件を顧客が検収した時点で確定する。それが唯一の規則だった。
同僚の典汰は、仮寿命を八か月ためていた。
重い心臓病を抱え、元の残りは三日。案件が明日検収されれば、娘の出産予定日まで生きられる。
「名前、決まったらしい」
典汰は休憩室で、娘から届いた超音波写真を見せた。
「八か月あれば、抱けるな」
「抱いたら、もう一年残業する」
二人は笑い、午前二時まで最終資料を直した。
翌朝、顧客判定が届く。
《検収不合格》
《理由:表紙の会社名に全角スペースを一つ検出》
峻平は再提出を押した。
《次回検収:三営業日後》
典汰の残りは二日十七時間。
仮寿命の八か月が灰色になり、残量から除外される。
「中身は全部通ってる。スペース一つだぞ」
上司は顧客へ電話したが、担当者は出張中だった。
典汰は自席へ戻った。
「直しておく。次の人が出せるように」
「帰れよ」
「家に帰っても、娘に顔見られたらばれる」
彼は表紙の空白を一つ消し、引継書を作り始めた。
翌日、典汰は会議中に倒れた。救急処置で半日を使い、残りは十七分になった。
峻平が病院へ駆けつける。
「検収、前倒しできるって」
上司からの通話を聞かせる。顧客が事情を知り、今すぐ承認すると言った。
画面に《検収合格》が出る。
《仮寿命八か月を確定します》
一秒後、別の通知が重なった。
《従業員の勤務不能を確認》
《案件担当者から除外しました》
典汰の名前が外れたため、八か月はチーム共有分へ戻された。
残り三分。
峻平は自分に配分された十二日を典汰へ送ろうとした。
《会社支給寿命の私的譲渡は禁止されています》
典汰は超音波写真を握った。
「抱けなかったな」
「写真、娘に渡す」
「違う。俺の代わりに、抱いてやって」
残量がゼロになる。
その夜、プロジェクト完了祝賀の通知が来た。
《チーム平均寿命を二十三日延長しました》
死亡した典汰も、集計上はチーム人数に含まれていた。
彼の一人分だけ、誰にも配られない六時間が残業実績として表示されていた。