母を預けた日の私

蟻川絃子は、十二年ぶりに美容院へ行った日に、母を施設へ預けた自分と会った。

介護支援AIの新しいカウンセリングでは、別の決断をした本人と話せる。こちらの絃子は仕事を辞め、認知症の母を自宅で看た。向こうの絃子は発症直後に施設を選び、建築設計士を続けた。

画面の彼女は短い髪で、国際賞のバッジを胸につけていた。

「母は、あなたを恨んだでしょう」と絃子は言った。

「最後まで『家に帰る』って言った」

「ほら」

「でも私は毎週行った。あなたは?」

絃子は答えられなかった。毎日そばにいたのに、母を公園へ連れ出したのは何年前だったか。食事、排泄、服薬。失敗させないことに追われ、母が好きだった夕焼けを一緒に見なくなっていた。

向こうの絃子も、仕事で面会を飛ばした日を数えていた。母の死後、受賞作の吹き抜けを見るたび、施設の白い廊下を思い出すという。

「あなたは親孝行だった」と向こうが言った。

「慰めないで」

「私も、そう言われると腹が立つ」

二人はしばらく、互いの白髪を見ていた。

母を預けた日は、裏切りの日ではなかった。預けなかった日も、愛の証明ではなかった。どちらも、ひとりで抱えきれない娘が選んだ不完全な方法だった。

通信後、絃子はショートステイを申し込んだ。母を三泊預ける書類に署名すると、指が震えた。

空いた時間で、かつて勤めた設計事務所を訪ねた。復職は無理だったが、週二日の図面修正を任された。

三日後、母を迎えに行くと、母は絃子を妹の名で呼んだ。それでも帰り道、二人で川沿いの夕焼けを見た。

「きれいねえ」と母が言った。

絃子は、どちらの人生にもなかった返事をした。

「うん。今日は仕事を休んでよかった」

復帰後に任されたのは、介護施設の食堂改修だった。絃子は効率優先の図面へ、川が見える低い窓を一つ足した。採算が悪いと削られかけたが、彼女は初めて強く反対した。母と見た夕焼けは、介護記録には残らない仕事だった。

完成後、母はその窓に触れて笑った。