水槽の灯りが消えたら
両親が喧嘩する夜、少年は金魚の水槽だけを見ていた。
言葉は聞きたくない。
水の中なら、音は丸くなって届く気がした。
「僕が悪いのかな」
水槽へ聞いた瞬間、照明が消えた。
暗くなった水槽を見つめていた少年と金魚は、朝日が水へ当たるまで体が入れ替わった。
少年は水の中へいた。
耳はないのに、床を伝う振動が体全体へ届く。
父の足音は速く、母の足音は同じ場所を往復している。
喧嘩の言葉は分からない。
ただ、二人とも少年の部屋の前で一度止まり、入らず戻ったのが分かった。
金魚は少年の体で起き上がり、両親のいる台所へ行った。
人間の言葉を知らないはずなのに、少年の口と記憶を使い、途切れ途切れに言った。
「大きい音。水、揺れる」
両親が黙る。
「小さい人、底へ行く」
父が少年の名を呼んだ。
金魚は首を傾げ、
「名前、知らない。餌の人」
と答えた。
母が泣きそうな顔で、
「あなた、誰」
と尋ねる。
金魚は水槽を指した。
「赤いの」
両親は信じなかった。
それでも、少年の体が魚のように口をぱくぱくさせるので、喧嘩を続けられなくなった。
父は、水槽の前へしゃがんだ。
「お前のせいじゃない」
水の中の少年へ言う。
母も続けた。
仕事と引っ越しのことで争っていた。
少年をどちらの学校へ通わせるかも話題になったが、少年が原因ではない。
水槽の少年は、言葉より足音で二人の怖さを感じた。
大人も正しい答えを持たず、同じ場所を行き来していた。
朝日が水へ差し、二人は元へ戻った。
少年は床へ座り込み、金魚は水草の陰へ隠れた。
両親は喧嘩をしないと約束しなかった。
代わりに、声が大きくなったら一度台所から離れると決めた。
少年にも、決める前に希望を聞くことにした。
その夜、水槽の灯りを消す。
入れ替わりは起きない。
金魚が一度、口を開け、尾をゆっくり振った。
少年は餌を一粒落とし、
「今日は底まで揺れなかったね」
と言った。
水の中へ逃げなくても、家の音を少し小さくする方法は、人間同士で作れるようになった。