油と卵の停戦
鷹宮絃が王宮厨房へ呼ばれたとき、宴の前菜は崩壊していた。
隣国の使節団はすでに控えの間へ到着し、前菜が遅れれば和平会談まで延期される。料理長は失敗を隠すため、下働きの絃が酢を入れすぎたせいだと報告書を書いていた。絃が厨房へ呼ばれたのは、直すためではなく責任を認めさせるためだった。
茹でた海老にかける卵黄のソースが、油と水に分かれている。料理長は高価な油を三壺も無駄にし、床には黄色い水たまりができていた。
「混ぜれば混ぜるほど別れる!」
怒鳴る料理長へ、絃は新しい卵黄を一つだけ頼んだ。
「また油を捨てる気か」
「一滴ずつなら、捨てません」
使った知識は乳化だけ。絃は卵黄へ酢を少し加え、油を糸より細く落としながら、一定の速さで混ぜた。
最初は匙一杯にも満たない。だが黄色い液は分かれず、艶のあるクリームへ変わった。油を急に注いだ別鉢では大きな粒が浮く。絃の鉢では、細い一筋が消えるたび全体が少しずつ厚くなる。
見守る者は、誰も質問できなくなった。鉢の縁へ描いた線が崩れず残り、失敗した水たまりとは別の料理になっていく。油を足すたび量が増え、鉢の底を逆さにしても落ちないほどになる。
料理長は黙った。絃は失敗した分離液も、少しずつ新しい乳化へ混ぜ戻す。捨てるはずだった三壺分が、白金色のソースとして蘇った。
海老へ一筋絞る。酢の香りが油の重さを切り、卵黄が舌に絡んだ。
試食した宰相は二尾目へ手を伸ばす。使節団の毒見役も同じ皿を食べ、重い油料理を嫌うはずの老使節が、前菜だけ追加を頼んだ。和平の卓へ出す百五十皿が、廃棄寸前の材料からそろっている。
料理長の報告書に残った『酢を入れた下働きの責任』という一文を、宰相は指でなぞった。
「この滑らかなものは、どこの高級乳だ?」
「卵と油です」
「費用は?」
料理長が計算板を見る。従来の乳ソースの三分の一だった。
絃は説明を終え、残り百五十皿へ同じ線を引き始める。一皿にかかる時間は三呼吸。宴の扉が開くまで、十分以上余った。
宰相は料理長の胸にあった金の匙章を外した。
絃へ渡したのは匙章ではなく、宴会注文を決裁する印章だった。
「次の国賓宴も、このソースを。責任者は君だ」