消えていく献立

母が娘の名を思い出せなくなるたび、台所の献立帳から一つ材料が消えた。

最初は、肉じゃがの砂糖。

次は、卵焼きの出汁。

母は年齢のせいだと笑い、娘は薄くなった字を書き直した。

ところが書き直しても、翌朝また消える。

母は病院で記憶障害と診断された。

魔法の話を医師へしても仕方がない。

娘は献立帳を持ち帰り、毎日確認した。

ある日、母が娘を姉の名で呼んだ。

献立帳から、餃子の生姜が消えた。

娘が幼い頃、辛いと泣いて抜いてもらった材料だった。

別の日、母は娘を介護士だと思った。

炊き込みご飯から、栗が消えた。

運動会の朝、二人で皮をむいた。

材料が減るほど、料理は母の味から遠ざかった。

娘は必死に書き戻した。

砂糖何杯。

出汁の量。

生姜は半分。

けれど数字だけでは、母が鍋の音を聞いて火を止めた感覚まで戻せない。

母が完全に娘を忘れた日、献立帳の「娘の好物」という見出しが白くなった。

娘は台所で泣いた。

母へ料理を作るのをやめようと思った。

覚えていない人へ、思い出の味を出しても意味がない。

施設の食堂で、母は娘の作った肉じゃがを一口食べた。

「甘すぎる」

と言った。

娘は顔を上げた。

昔から母は、自分の肉じゃがを甘いと言いながら、娘の皿へ大きい肉を入れた。

「嫌い?」

「嫌いじゃない。作った人、疲れてる味」

母は娘を知らない。

それでも、鍋へ向かった人の様子を味から読む癖は残っていた。

娘は献立帳を書き直すのをやめた。

消えた材料の横へ、今日の味を新しく書いた。

「甘め。施設で二人で食べた」

「栗なし。母はおかわり」

「生姜多め。むせて笑った」

古い料理を完全に復元するのではなく、今の母と作る献立帳へ変えた。

最後には、元の頁のほとんどが白くなった。

その余白へ新しい文字が増えた。

母は娘の名を二度と思い出さなかった。

それでも面会の日、

「甘い料理の人」

と呼んだ。

娘は、

「はい」

と返事をした。

名前が消えても、二人の間に何もなくなるわけではない。

今日一緒に食べた味は、今日の記憶として、白い頁へ置くことができた。