消灯後の院内放送
千住綴が夜勤に入ると、消灯時刻を過ぎた病棟で、院内放送にない曲が流れた。
午前零時四分。ナースステーションの端末には再生履歴がなく、廊下のスピーカーだけが青く点滅し、空の個室まで順番に音を渡している。イントロは輸液ポンプの警告音を四拍へ整えたものだった。
「朝までここに」
綴は、その声を七年前に亡くした小児患者のものだと思った。少女は臨床試験中に容体が急変し、朝を迎えられなかった。担当だった綴は、主治医から「規定量どおり」と説明され、記録へ署名した。少女の母は納得せず、今も病院を訴えている。
Aメロでは、薬剤バーコードの読取音が音階になった。高い音が患者番号、低い音が投与量。綴が曲を採譜すると、少女の記録だけ規定量の十倍を示していた。電子カルテには一桁少なく保存されている。
「朝までここに」
二度目の声に、綴は泣きそうになった。少女が死ぬ夜、一人にしないでと頼んでいたのかもしれない。けれど綴は別室へ呼ばれ、戻ったときには主治医が点滴を交換していた。
サビに入ると、病棟中の輸液ポンプが同じテンポで鳴り始めた。現在の患者のうち三人にも、同じ不正な治験コードが割り当てられている。今夜、過量投与が繰り返される予定だった。
主治医が廊下の奥から走ってきた。放送を切れと叫び、綴の端末を奪おうとする。綴は非常停止を押し、三人の点滴を一斉に止めた。曲はさらに大きくなり、少女の投与ログと、主治医が数字を修正した時刻を全室モニターへ表示した。
最後の一音で病棟の自動扉が施錠された。外から監査官と警察が入り、主治医だけが内側に取り残される。深夜にしか曲が再生できなかったのは、治験システムが日付を更新し、不正な投与命令を一時的に展開する瞬間を狙うためだった。
スピーカーが、今度は機械的な声で告げる。
「朝までここに」
少女が看護師へそばにいてと願った言葉ではない。証拠が保全される朝まで、主治医をこの病棟から出さないための拘束通知だった。