港が僕を帰さなかった
「能力なし。船酔いする荷物のほうがまだ金になる」
港務長は八代環の鑑定板を裏返し、波止場の端へ追いやった。
環が異世界へ落ちてきたのは三日前。帰還魔法を研究する王都へ行く船賃を稼ぐため、港で積み荷を運んでいた。元の世界へ戻りたいと口にするたび、ここでは根無し草と呼ばれた。
夕刻、沖の海面が黒く泡立った。
海ゴブリンの小舟が何十隻も押し寄せる。銛しか持たない低級魔物だが、火油の壺を積んでいる。港の船が一隻でも燃えれば、炎は倉庫街までつながる。
護衛船が出ようとした瞬間、海中から鎖が持ち上がった。
鎖につながれていたのは、幼い潮鯨だった。海ゴブリンたちは泣き声で操り、港へ突進させようとしている。その背後には、鯨を捕らえた海賊術師の旗艦が隠れていた。
港務長は環へ空の水桶を押しつけた。
「火が来たら、それで消せ」
環は桶を置いた。波止場で働いた三日間、漁師の妻から朝食をもらい、船大工の老人から寝床を借り、迷子の子に名前を覚えられた。帰る場所は、出生地だけで決まるのだろうか。
環は海へ向かって片手を上げた。
「みんな、帰って」
《真なる帰港》を一度だけ発動する。
港全体に、帰港鐘の低い音が広がった。
海ゴブリンの小舟が光に包まれ、それぞれの生まれた洞窟へ消える。火油も、奪われた武器も、持ち主の倉庫へ戻った。潮鯨の鎖はほどけ、母鯨の泳ぐ外海へ一瞬で運ばれる。海賊術師と旗艦は、犯罪者を待つ本国の軍港へ転移した。
最後に、環自身の足元にも光の輪が現れた。
波止場の誰もが息を止める。異世界から来た彼女なら、元の世界へ消えるはずだった。
だが光は一度明滅し、その場で静かに消えた。
世界最古の帰還灯台が、判定不能を示す七色に輝き、頂上の帰郷石を砕いた。
港の領主ロメオが、監督席から立ち上がる。
「この港を、帰る場所と認めたのか」
環が答える前に、迷子だった少年が人垣から飛び出した。
「おかえり、たまき!」
港務長は裏返した鑑定板を慌てて戻す。空白だった表面には、新しい文字が浮かんでいた。
――港の守り手。
船乗りたちは帽子を取り、環が戻ってきた者であるかのように、一斉に帰港礼を送った。