無罪のあとから
加賀美咲耶の兄は、強盗殺人で二十八年服役した。決め手は防犯記録の時刻だったが、咲耶は後年、画像解析AIが「18:01」を「16:01」と誤読していたことを突き止めた。兄は釈放直前、獄中で病死した。
五十一歳の咲耶は過去修正AIを使い、裁判資料の数字を正した。
更新後、兄は生きていた。小さな修理店を営み、孫の写真を嬉しそうに見せた。咲耶は泣きながら兄の手を握った。
だが彼女自身は弁護士ではなくなっていた。兄の冤罪を晴らすために法学部へ入り、やがて同じ解析ミスで有罪になった四百人を救った人生が消えていた。更新後の咲耶は企業の監査部長で、誤判定を起こした会社の免責契約を作っていた。救われたはずの四百人は、今も刑務所にいた。咲耶の記憶には、一人ずつの名前と釈放日の顔があった。だがこの世界の検索結果では、彼らは番号と罪名しか持たない。中には既に獄死した者もいた。
兄は自由な二十八年を生きた代わりに、妹が何を失ったかを知らなかった。店の壁には、咲耶が企業表彰を受ける写真が飾られていた。彼は誇らしげにそれを指したが、咲耶には罪の証拠に見えた。
修正AIは、元へ戻せば社会的損失が最小になると計算した。兄一人の人生と、四百人の釈放。画面には比較表まで出た。
兄は表を見て言った。
「俺を戻せ。おまえが救った人たちを見捨てるな」
咲耶は端末を閉じた。兄を再び刑務所へ送り、死なせることを正義とは呼べなかった。だからといって、四百人を数字にして諦めるつもりもなかった。
翌週、咲耶は会社を告発し、職を失った。五十一歳で司法試験の勉強を始めた。兄は店の奥を事務所として貸し、夜食の焼きそばを作った。
最初の再審請求が通るまで六年かかった。兄の髪は白くなり、咲耶の視力も落ちた。
判決の日、咲耶は思った。過去を一箇所直せば、正義まで自動で直ると思っていた。だが無罪のあとにも、人生は続く。正義は、そこから何度でも作り直す仕事だった。