焼香のあとで

寺の門が閉まるまで、あと十分だった。

拓海は焼香を終え、雨の軒下で咲良と鉢合わせた。七年ぶりだった。互いに喪服でなければ、声をかけずに通り過ぎたかもしれない。

「先生の携帯、遺族から預かった」

「どうして私に」

「写真の整理を頼まれた。君のアドレスが残ってた」

亡くなった恩師は、二人が働いていた写真館の店主だった。拓海が海外修業へ行くと決めたとき、咲良は何も言わず店を辞めた。帰国した彼が連絡しても、返事はなかった。拓海の財布には、咲良が試し焼きした証明写真が一枚残っている。笑わない規格なのに、口元だけが少し緩んでいた。

拓海が古い端末を起動すると、メールの下書きが一件表示された。差出人は咲良、宛先は拓海。先生の端末で書かれている。

〈待つと言えば、あなたは行かない。だから言わない。でも、帰ってきたら最初に私を探して〉

作成日は、拓海の出発前日だった。

「先生に携帯を借りて書いたの」と咲良が言った。「自分のは水没してたから」

「送らなかったのか」

「先生が、送信したって」

「下書きのままだ」

二人は同時に本堂を見た。先生は嘘をついたのか、押し忘れたのか。確かめる相手はもういない。

「帰って、探した」

拓海は、閉まった写真館の郵便受けに何通も手紙を入れた。すべて先生から咲良へ渡ったと思っていたが、そのことも確かめようがない。

「知ってる。先生から聞いた」

「じゃあ、なぜ」

「あなた、賞を取ったばかりだった。私が待ってたって知ったら、責任で戻ると思った」

雨樋から水が落ちる。残り六分。

拓海は、咲良の薬指に指輪を見つけた。咲良も、拓海の胸ポケットから覗く子どもの写真に気づいた。二人とも、七年を止めてはいなかった。

「届いてたら」と拓海が言う。

「たぶん、もっと傷つけ合ってた」

「そうかな」

「そう思うことにしないと、帰れない」

寺男が門を閉める合図をした。

拓海は下書きを自分の端末へ転送しかけ、やめた。証拠を持ち帰れば、今の生活のどこかに穴が開く。

「消して」と咲良が言った。

拓海は送信されなかった言葉を削除し、先生の携帯を遺族へ返した。二人は別々の傘を開き、反対方向へ歩いた。