留守番電話は一件
亜澄は、午前零時を過ぎてから父の留守番電話を再生した。
『みかんを送った。会社の受付に届くようにした。傷む前に持って帰れ』
十二秒。声はそれだけだった。
机の横には、先月届いた段ボールがまだ畳まずに立ててある。宛名の下には赤い字で「娘です。必ず本人へ」と書かれていた。同僚にからかわれたことより、父が職場を自宅の延長のように扱うことが嫌だった。
亜澄はメッセージを削除せず、折り返した。父は眠っていなかったらしく、一度で出た。
「届いたか」
「まだ。明日届く」
「ならよかった」
「よくない。会社に送らないで」
「昼間いないだろ」
「宅配ボックスがある」
「食べ物を外に置くな」
「コンビニ受け取りにもできる」
「面倒だ」
「私が決めることだから」
受話口の向こうで、テレビの音が小さくなった。父がリモコンを押したらしい。
「たかがみかんで大げさだな」
「みかんの話だけしてる」
「親切で送ってるんだぞ」
「親切を受け取る場所は、受け取る側が決めていい」
父は黙った。亜澄は窓を少し開けた。夜気がカーテンを揺らし、机の段ボールがかすかに鳴った。
「返せばいいのか」
「今回は受け取る。次からは、送る前に聞いて」
「いちいち許可がいるのか」
「いる」
「返事がなかったら」
「送らない」
「腐るぞ」
「お父さんが食べて」
しばらくして、父が短く笑った。馬鹿にする笑いではなく、困ったときに出る息に近かった。
「分かった。次は聞く」
「会社の住所は消して」
「手帳に書いてある」
「今、消して」
紙をめくる音がした。ボールペンの先が何度か走り、強く線を引く音が耳へ届いた。
「消した」
「ありがとう」
亜澄はそこで通話を終えようとした。
「待て」
父の声に肩が固くなる。
「何」
「みかん、甘くなかったら捨てていい」
亜澄は返事に迷い、「そうする」と言った。
電話を切り、留守番電話の画面へ戻る。一件の表示を左へ払えば消せる。それでも亜澄は残した。命令の形で届いた声が、最後には捨てる自由を認めた記録だった。
通知音は切ったままにした。保存することと、いつでも応じることは別だった。