留守番電話を消す朝
母の四十九日が終わっても、志麻のスマートフォンには留守番電話が一件残っていた。
再生時間、一分四十二秒。
段ボールを閉じるたび、志麻はそれを再生した。母の声は最初から不機嫌だった。
『志麻ちゃん、また出ないのね。冷蔵庫に作り置きを入れておいたから、ちゃんと食べなさい。あの青いスカートは捨てておきました。あなたには似合わないし、もう若くないんだから。土曜日は十時に迎えに行きます。返事はいりません』
最後に、受話口へ触れたような音がして、録音は切れる。
母の家で、志麻は衣類の箱を一つだけ整理していた。黒、紺、灰色。母が「あなた向き」と言って買った服は、喪服の隣へ置いても見分けがつかなかった。
箱の底から、青い布が少しだけ見えた。
捨てられたはずのスカートだった。母はごみ袋へ入れたあと、なぜか持ち帰っていたらしい。しわだらけで、裾にはクリーニングのタグが付いたままだった。
志麻は床に座り、もう一度留守番電話を再生した。
『返事はいりません』
その言葉だけが、今までとは違って聞こえた。返事をしなくていい。説明もしなくていい。死んだ人を納得させることも、死んだから許すことも、しなくていい。
志麻は青いスカートを箱から出した。腰に当てると、もう少しきつかった。それでも布は光を受け、灰色の部屋に小さな水面を作った。
スマートフォンの画面には、〈保存〉と〈削除〉が並んでいる。
指を置いたまま、母の息遣いを思い出した。怒る前に浅く吸う音。言い過ぎたあと、ほんの少し黙る癖。留守番電話の最後に入った雑音も、もしかするとその沈黙だったのかもしれない。
けれど、意味を探すのもやめる。
志麻は〈削除〉を押した。
「このメッセージを削除しますか」
確認画面に、母の顔は出なかった。はい、といいえ、だけだった。
〈はい〉を押す。
一分四十二秒が消えたあと、部屋には段ボールをこする音が残った。志麻は青いスカートを「処分」の箱ではなく、自分の鞄へ入れた。
母を捨てたのではない。母の声を、いつでも自分を命令できる場所から下ろしただけだ。
窓を開けると、朝の風が裾を揺らした。
志麻は返事をしなかった。代わりに、青を持って帰った。