疫病神の健康診断

「次の方、エキノスさん」

 市民健診の待合室で、疫病神エキノスは小さく手を挙げた。人間界の配送会社で働き始め、年に一度の健康診断を受けるよう命じられたのだ。

 問診票を見た医師が眉を寄せた。

「現在、気になる症状はありますか」

「周囲に咳、発熱、倦怠感を与える」

「ご本人ではなく周囲ですね」

「職業病だ」

「職業欄には配送補助と」

「本業を書くと採用されぬ」

 体温を測ると、表示は三十八度、四十二度、平熱、厄年、と順番に変わった。看護師が体温計を交換しても同じだった。

「血圧を測ります」

「腕帯が呪われても知らんぞ」

「消毒しますので」

 結果は上が百八十、下が六十六、中央に「大凶」。医師は機械を軽くたたいた。

「生活習慣を確認します。喫煙は?」

「日に線香三百本」

「それは吸っているんですか」

「煙を浴びている」

「飲酒は?」

「供えられた酒を少々。樽で二つ」

「少々の単位が神話的ですね」

 採血では針が黒く変色し、視力検査では「右、左、来月倒れる者」と余計なものまで見えた。胸部撮影には肺ではなく、背後に並ぶ疫病の小鬼が写った。

「総合すると、かなり不健康です」

「疫病神だからな」

「だからといって健康管理を放棄してよい理由にはなりません」

 医師は真顔だった。

「手洗い、うがい、十分な睡眠。人混みではマスク。線香は控えめに。酒は樽ではなく杯で数えてください」

「それを守れば、力が弱まる」

「配送先で風邪を広げたら苦情になりますよ」

「それは困る」

 エキノスはしぶしぶ従った。帰宅後は手を三十秒洗い、夜更かしをやめ、野菜を食べた。仕事中は不織布マスクを二重にした。

 一か月後、彼の周囲では誰も病気にならなくなった。それどころか、エキノスが手洗いを始めると同僚もまねし、倉庫の欠勤率が下がった。

 会社は彼を「衛生推進リーダー」に任命した。

「疫病神の余が?」

「説得力があります。ポスターにも出てください」

 完成したポスターには、黒衣のエキノスが親指を立て、『手洗いで厄を落とそう』と笑っていた。本人は不満だったが、近所の薬局で顔を覚えられ、マスクを一箱おまけしてもらった。

 翌年の健診。医師は結果を見てうなずいた。

「数値は改善しています」

「神威は半分になった」

「体重も三キロ減りました」

「威厳まで減った気がする」

「腹囲です」

 エキノスはため息をついた。待合室の観葉植物は枯れず、むしろ小さな花を咲かせた。

「来年も受けてください」

「健康な疫病神など、存在意義が揺らぐ」

「定年まで働くなら必要です」

 不死の神に定年はあるのか。エキノスは、その質問だけは会社の人事へ持ち帰ることにした。