白布一枚の防衛線
魔法学院の寄宿舎で、咳熱が広がっていた。
一号棟で一人が咳を始めてから四日。発熱者は二人、七人、二十三人と増え、授業に出られる生徒は半分になった。学院長ディアナは大広間で全員へ治癒香を焚かせたが、香煙の中でさらに咳が響いた。
「魔力なしの転入生が、病の指図をするな」
寮監は、前世で感染対策を学んだ亮を追い払おうとした。
亮が使った知識は一つ。咳をする者の口と鼻を布で覆い、飛沫を外へ出さないことだった。
彼は薄い白布を二重に縫い、耳へ掛ける紐をつけた。咳のある生徒へだけ配り、食事以外は着けてもらう。魔除けの刺繍も香薬もない、ただの布だ。裁縫室なら一枚を五分で作れ、治癒香一瓶より百倍安かった。
「病人の印を顔につける気か」
亮は名前を公表せず、自分で白布を着けた。黒い紙を一枚立て、布なしで咳をすると細かな濡れ点が四十以上。白布越しでは三点。目に見えないはずの飛沫が、紙の上で数になった。
それを見た一号棟の生徒が、最初に手を挙げた。
「咳を隠してた。僕にも一枚くれ」
夕方までに白布は六十八枚なくなった。廊下の咳そのものは消えない。だが向かいの机や食器へ飛ぶしぶきが止まり、大広間で顔を背ける者がいなくなった。
翌日の新たな発熱は、前日の二十三人から六人。二日目は二人。三日目はゼロ。白布を配らなかった二号分校では、同じ三日間に四十一人が発熱した。治癒香の使用量は従来の十分の一だった。
学院長は名簿を自分で数え直した。白布を着けた生徒を罰する者はいなかった。むしろ回復した者が洗った布を次の患者へ渡し、「早く戻れ」と授業ノートを添えていた。
寮監が「偶然だ」と布を床へ投げる。学院長ディアナは自分で拾い、口と鼻へ結んだ。
「亮の規則を笑う者は、まずこの数字を覆しなさい」
そして次年度の入学案内から「無魔力者不可」の一文を杖先で焼き消した。代わりに新設した役職名を書き入れる。
――学院防疫官、亮。
「全寮分、千枚を正式に注文します」
裁縫室の鐘が鳴り、白布を求める列が大広間の外まで伸びた。