白焼きに山葵ひと筋

檜山統也の父は、電話の最後に必ず「無理ならいい」と言う。

その夜の用件は、百二十万円だった。実家の小さな運送会社で税金の支払いが重なり、月末まで足りないという。

統也の口座には、百四十万円ある。二年間ためた、夜間のデータ分析講座の学費だった。貸せば父は助かる。自分は一年待てばいい。そう考える一方で、前にも「今回だけ」で三十万円を渡していた。

返事を明日まで待ってもらい、統也は川沿いの居酒屋へ入った。土用前だけ出すという「鰻の白焼き」を頼む。客はほかにいなかった。

皮を下にして網へ置くと、脂が落ちて、ちりちりと炭が鳴った。たれの匂いはなく、鰻そのものの甘い脂と、炭の乾いた煙だけが立つ。表面は薄い狐色で、身の白さが残っていた。

店主は本山葵を細く一本、皿の端へ引いた。

「山葵は、少しずつ」

統也は一切れに多く載せすぎた。鼻の奥が鋭く抜け、目に涙がにじむ。けれど、そのあとにふっくらした脂の甘さが戻った。

父を助けたい気持ちは本当だった。ただ、金を渡すことと、問題を先送りすることの境目が見えない。父の「無理ならいい」は、断りやすくする言葉であり、断った後も残る言葉だった。

統也はノートアプリを開き、明日の電話で聞く項目を書いた。未払いの総額、入金予定、固定費、前回の三十万円の扱い。さらに、会計事務所へ同行すること、資金繰り表を一緒に作ること。その下へ、太字で一行加えた。

〈学費分は貸さない〉

父に言える自信はまだなかった。怒られれば、きっと揺れる。それでも統也は講座の申込ページを開き、入学金だけを先に支払った。

申込完了のメールが届くと、統也は父からの着信履歴を見た。今夜かけ直せば、勢いで承諾してしまう気がした。明日の昼、資料を開ける場所から電話すると予定表に入れた。断る言葉も、数字を見ながらなら口にできる気がした。

白焼きの最後の一切れは、皮が少し固くなっていた。山葵をほんの少し載せて噛む。鼻に抜ける痛みは短く、脂の温度は長く、喉の奥に残った。