百円玉をもう一枚

千歳環と八木沢修也は、月に一度、互いの街の中間にある温泉町で会った。

いつも十一時に改札で会い、夕方には別れた。互いの冷蔵庫の中身は知らないのに、中継駅の名物菓子だけは全種類食べた。近づきすぎないその習慣を、環は円満の証拠だと思い込んでいた。

その日は突然の雨に降られ、二人とも服まで濡れた。駅前のコインランドリーで、上着と靴下を乾燥機へ放り込む。表示は二十七分。環の最終列車までは三十一分だった。乾燥機の熱で、曇った窓に二人の輪郭が重なった。

「もう、こういうのやめない?」

回る洗濯物を見ながら、修也が言った。

「濡れた服を乾かすの?」

「中間で会うの。どっちかの街で暮らせばいい」

環は笑おうとしたが、うまくいかなかった。

幼い頃、単身赴任を終えた父が家へ戻ると、両親は食器の置き方や帰宅時間で毎日争った。離れていた頃の手紙だけが優しかった。近づけば壊れる。その記憶が、環の中では事実になっている。

それが、修也を好きだと言えない唯一の理由だった。

「今までのままでいいじゃん」

「毎月交通費を払って、帰る時間を気にするままで?」

「楽しいよ」

「俺は足りない」

乾燥機が残り十九分になる。外では雨が窓を強く打った。

「環は、俺と暮らすのが嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ怖い?」

逃げられなかった。狭い店内に客は二人だけ。裸足なので、駅へ走ることもできない。

「いつも通りなら、失敗しないから」

「失敗しない代わりに、何も増えないよ」

「増やして、なくなったらどうするの」

修也はしばらく黙り、乾燥機の上に百円玉を一枚置いた。

「なくなるかどうかは、近くで決めたい」

残り十二分。今出せば、湿った服でも列車には間に合う。

環は扉へ手を伸ばしたが、開けなかった。

「いつも通りが好きなんじゃない」

修也が顔を上げる。

「壊したくない相手が修也だから、同じ形に隠れてた」

最終列車の発車案内が遠くで流れた。

環は乾燥機の投入口へ、修也が置いた百円玉を入れた。表示時間が十二分から二十二分へ増える。二人は裸足のまま、走らなかった。