眠る前の試し聞き

汐見は、自分の声を聞き返すのが苦手だった。

録音すると、話しているときには気づかない息の浅さや、語尾の頼りなさが残る。配信用の三分音声を作るだけで、今夜も十四回録り直していた。

午前一時三十七分。デスクライトが白い円をつくり、ノートパソコンのファンが回っている。雨は換気口を細く鳴らし、冷蔵庫がときどき壁際で震えた。

内容は「眠る前に飲むもの」。白湯でも牛乳でも、何も飲まなくてもよいという短い話だ。正解を教える番組ではない。ただ週に一度、三分の声を配信する。

十四回目を再生する。

冒頭で唇が離れる音。途中で椅子が軋む音。最後の「では、また」が少し早い。

汐見は削除しようとした。

そのとき壁の向こうから、同じような椅子の軋みが聞こえた。隣室の住人が立ち上がったらしい。蛇口を開く音が続き、配管を水が流れる。深夜に水を飲む誰かがいる。

音は一分もせず消えた。顔を合わせたことのない隣人だった。

汐見は十四回目を限定公開し、「試し聞き」という配信枠へ置いた。公開前の確認用で、告知はしていない。再生回数は一。自分が聞いた分だ。

概要欄を直していると、数字が二になった。

誰が見つけたのか分からない。以前の配信からたどった人か、表示の偶然か。コメントも反応もないまま、二は動かなかった。

汐見は三分経つまで画面を見ようとして、やめた。聞き終えたか、途中で閉じたかまで知れば、また声を録り直したくなる。

配信を本公開へ切り替え、予約時刻を朝七時に設定する。椅子の軋みも、少し早い「また」も残した。

パソコンを閉じると、ファンがゆっくり止まった。隣室からはもう何も聞こえない。

予約一覧には、朝七時の横へ小さな時計の印が点いた。汐見はその印が消える瞬間を見届けない。声は自分が眠っているあいだに配信されてもよく、それは置き去りとは違った。

自分の声が誰かに届いた事実は、抱きしめられるほど大きくなかった。それくらいでよかった。汐見はコップへ水を注ぎ、今夜は十五回目を録らずに布団へ入った。