砂時計の三分
早苗は通知が鳴る前にスマートフォンを見る。企画会社のグループチャット、取引先のメール、母からのメッセージ。返事が遅いと思われるのが怖くて、入浴中も端末を洗面台に置いた。早い返信は誠実さだと信じていたが、何をしていても途中で切られる感覚が残った。
隣の杉浦志津は、驚くほど反応が遅い同僚だった。無口で、チャットにも既読がつくまで時間がかかる。それでも締切を落としたことはない。机には三分計の小さな砂時計が置かれていた。
昼休み、早苗の端末が震えると、志津が砂時計をひっくり返した。白い砂が細く落ち始める。
『次の通知は、砂が落ちるまで開かない』
志津が差し出したメモには、それだけ書かれていた。
「急ぎだったらどうするんですか」
志津は早苗の画面を指す。通知には「至急」の二文字が見えていた。それでも何も言わない。
早苗は端末へ伸びる自分の手を、もう片方の手で押さえた。机の時計の秒針、空調の低い音、隣の部署の笑い声がやけに大きい。通知を見ない時間には何もないと思っていたのに、何もない三分を過ごすことの方が難しかった。返事の速さでしか、自分の誠実さを示せない気がしていた。
三分は長かった。早苗は一粒ずつ落ちる砂を見ながら、頭の中で最悪を並べた。顧客の怒り、上司の催促、修正漏れ。途中で開けば終わる緊張なのに、志津は止めなかった。
砂が落ち切ってから開くと、内容は来週の懇親会の店を「至急決めたい」というものだった。早苗は笑いそうになり、同時に疲れた。
午後、クライアントから「今すぐ確認希望」とメールが来た。添付は二十ページ。反射で開こうとして、指が止まる。今の作業は、あと二分で終わる見積書だった。
志津は自分の画面を見ていて、こちらを確認しない。課題はもう終わった。守る必要はない。
早苗は砂時計を借りなかった。代わりに端末を伏せ、見積書の最後の数字を入力する。保存してから、メールを開いた。
返信欄に「受領しました。十五時までに確認します」と打ち、すぐ返すのではなく、送信予約を十五分後に設定した。