砂時計は北を指さない

神谷菜緒は二つの街の旅行案内を抱え、門脇聡介の前に置いた。

「どちらに引っ越すべきだと思いますか」

門脇は三分計の砂時計を逆さにした。相談を受けるたびに砂を落とす司書で、落ち切るまで口を挟まない。その沈黙が無愛想に見えるらしい。

菜緒は話した。東京に残れば、今の仕事を続けられる。海辺の街へ行けば、恋人と暮らせる。ただし仕事は辞めなければならない。恋人は「無理しなくていい」と言う。それが来てほしいのか、来てほしくないのか分からない。

砂が落ち切った。

「地図は答えません」

「司書さんの意見を聞きたいんです」

「地図は答えません」

門脇は二冊を返し、代わりに統計年鑑、自治体の広報、求人情報、鉄道時刻表を並べた。

「観光案内は、訪れる人のための本です。暮らす相談には分類が違う」

菜緒はむっとしながらも、閲覧席で比べた。家賃は海辺の街が安い。求人は少ないが、経験職の募集が一件ある。最終電車は早い。病院は駅から遠い。東京の部屋を解約せず三か月試す方法も、数字にすれば不可能ではなかった。

門脇はまた砂時計を逆さにした。

「恋人の気持ちは、どの資料に載っていますか」

「載っていません」

「では本人に聞くしかない」

「怖いんです。『来て』と言われても、『来ないで』と言われても」

「地図は答えません」

同じ言葉が、今度は逃げ道を塞いだ。

菜緒は図書館の外へ出て、恋人に電話した。海の音が向こうで聞こえた。

「三か月だけ、そっちで暮らしてみたい。来てほしい?」

長い沈黙のあと、恋人は「ずっと、その言葉を待ってた」と泣いた。

戻ると、門脇は閉館の札を準備していた。菜緒は海辺の街の統計年鑑と、東京の住宅情報誌を一冊ずつ借りた。

「まだ両方?」

「三か月後に、もう一度選びます」

門脇は砂時計を横に倒した。砂はどちらにも落ちない。

「地図は答えません。けれど、戻る道を残すことはできます」

菜緒は二冊を鞄に入れた。決めたのは永住先ではない。まず一本、海へ向かう道だった。