空鯨に食べさせた角砂糖
浮遊都市ミュルは、ゆっくり落ちていた。
都市を背に載せる空鯨が三日間、翼を動かさない。下には針の森。あと一刻で街ごと串刺しになる。
神官は祈り、兵士は鯨の背を槍で刺激したが、巨体は悲しそうに鳴くだけだった。飼育係見習いのニムだけが、鯨の口元に白い粉が付いていることへ気づく。
「月蜜が切れたんだ」
空鯨は月蜜しか食べない。だが備蓄庫は空で、次の採取船は七日後だ。
ニムには、飼育係就任時にもらった《初回十連》があった。豪華な鞍が出るまで使うな、と先輩に言われていたが、今必要なのは鞍ではない。
引くと、ブラシや縄、桶が九つ。最後に、紙包みの角砂糖が一個出た。
《甘味/一口分》
「普通の砂糖じゃ食べないぞ!」
市長が叫ぶ。
ニムは答えず、空鯨の鼻先まで走った。巨大な瞳がこちらを見る。彼は掌の角砂糖を差し出した。
鯨はしばらく匂いを嗅ぎ、舌先でそっと舐めた。
ごう、と都市全体が震えた。
空鯨の翼が一度はためき、落下が止まる。二度目で針の森から離れ、三度目には雲を突き抜けた。都市へ朝日が差し、家々の窓が金色に光る。
鯨は満足そうに低く鳴き、ニムの掌へ鼻先を押しつけた。紙包みの底には、なぜか同じ角砂糖がもう一個戻っている。
市長が飼育長の徽章を外し、ニムの胸へ付けた。
「何が必要かを見抜いた者が、飼育長だ」
そのとき紙包みの表示が変わった。
ニムは鯨の舌に残った味を見て、ようやく気づいた。亡くなった前飼育長は、月蜜を必ず小さな四角に固めて与えていた。鯨が欲しかったのは栄養だけではなく、安心して口を開けられる形だったのだ。ニムが二個目を指先で見せると、巨体は子犬のように尾を振り、街の風車が一斉に回り始めた。
街の人々は、鯨を動かすために槍を当てた跡を見て黙り込んだ。ニムは責めず、傷へ薬を塗る役を募る。兵士が最初に槍を置き、市長は月蜜の備蓄鍵を飼育舎へ返した。空鯨の背で暮らすなら、命令するより先に、空腹を確かめるべきだった。
《唯一級〈月を煮詰めた角砂糖〉/残数:食べさせるたび一個》