背表紙の向こうの席

会議室の机に立てられた透明な仕切りを見て、野乃香は高校の机に置かれた分厚い本を思い出した。秋津から借りた世界文学全集の一冊。二人が喧嘩したあと、その本は壁になった。

一年生から隣同士だった二人は、弁当も帰り道も一緒だった。ところが文化祭の実行委員を決める日、野乃香は秋津の名前を勝手に推薦した。人前で話すのが苦手な彼女なら、引き受けないと思っていた。けれど秋津は断れず、準備の失敗を責められ、教室で泣いた。

翌朝、秋津は二人の机の境目に本を立てた。

「返す」と野乃香が言っても、「読み終わるまで持ってて」と顔を上げなかった。

本の背表紙は、隣の席を完全には隠さなかった。上から跳ねる髪も、頁をめくる指も見えた。昼休みに秋津が一人でパンを食べる音まで聞こえたのに、野乃香は壁があるふりを続けた。それでも野乃香は謝れなかった。「良かれと思って」が通じないことを認めれば、自分がただ秋津を軽く扱ったのだと分かってしまうからだ。

卒業間近、秋津の机が空になった。家族の転居で、一足先に町を離れたのだ。本は野乃香の側へ倒れ、扉のように開いた。余白には秋津の字で、主人公が勝手に他人の人生を決める場面へ丸がついていた。

〈悪い人じゃない。でも、隣の人を見ていない〉

野乃香はその一文を十年持ち歩いた。職場では調整役を買って出て、頼まれる前に予定を決め、みんなのためと言って仕事を配った。最近、後輩に「選ばせてもらえませんか」と言われたとき、背表紙の向こうにいた秋津の横顔が戻ってきた。

その夜、本を包み、ようやく見つけた住所へ送った。

〈あのとき、あなたのためではなく、私がいい人でいるために推薦しました。返事は要りません。本を返します〉

翌朝の会議で、野乃香は用意していた役割表を伏せた。

「誰が何をしたいか、先に聞かせてください」

透明な仕切りの向こうで、後輩が少し驚いてから手を挙げた。野乃香は遮らず、その人の言葉が終わるまで待った。