落ちる箱に休止階を
《歌姫ネネカと老整備員、案件感すごい》
《奈落昇降機は止めた瞬間にワイヤーが切れる》
《戦えない人を百五十層へ連れてくるな》
人気歌姫配信者・月城ネネカのライブは、落下音で中断された。二人を乗せた古い昇降箱が、百五十層から奈落へ向かって加速している。天井のワイヤーは赤熱し、壁の非常レバーには「使用禁止」の札が下がっていた。
整備員の常盤時治は、床へ耳を当てる。この昇降機が現役だった三十年前、彼は新人として同じ箱の異音を毎晩聞いていた。部品は替わっても、四拍ごとに鳴る古い軋みだけは変わっていない。
「あと一節だけ歌えますか」
「バラードとアップテンポ、どっち?」
「四拍子なら何でも」
ネネカは手すりを握り、揺れる箱の中で歌い始めた。
《落下速度、毎秒七十メートル超え》
《下は階層喰い。箱ごと飲まれたら転移石も使えない》
《整備員、工具一本出さないのか》
時治は歌の拍に合わせて壁を数える。ネネカの声は落下の恐怖で一度だけ震えたが、次の小節には正確な拍へ戻った。彼女もまた、名も知られない整備員の指示を疑わず、ライブで鍛えた呼吸を預けている。箱が古い継ぎ目を通過した四拍目、時治は非常レバーを一度だけ引いた。
ワイヤーが切れる。
同時に、存在しなかった百五十一階の扉が開いた。昇降箱は落下の勢いのまま横へ滑り、柔らかな草原へ着地する。追ってきた階層喰いの巨大な顎は扉へ挟まり、ネネカが最後の高音をぶつけると牙が砕けた。
「休止階なんて、図面になかったよ?」
「昔の昇降機は、同じ振動を四回受けると整備階を作るんです。歌が正確で助かりました」
《旧式機構ログ発見、四拍同期で保守空間生成》
《ネネカの歌をカウントにして、切断と退避を同時成立》
《老整備員じゃない。この迷宮の取扱説明書そのものだ》
ネネカは草まみれの衣装を払わず、時治の油染みた帽子をかぶった。
「アンコールは整備階から。時治さん、次も四拍目をお願い」
停止していた視聴者数が一気に跳ね上がる。
【同時視聴者数 1,510,000――存在しない第百五十一層から配信再開】