表も裏もない命令貨
野戦病院へ送られてきた捕虜は、兵ではなく雷だった。
雷角魔族ザグレイ。首の鉄環から鎖が伸び、その先に将軍ベルカスの命令貨がぶら下がっている。貨幣を裏返せば前進、表なら停止。縁を爪で弾けば、目の前の敵を焼く。敵味方の区別は命令者が決め、ザグレイ自身が見たものは考慮されない。救護旗を掲げた者まで雷にした夜から、彼は誰の顔も見なくなっていた。
軍医ラウラは負傷者十人の治療費と引き換えに、その所有権を押しつけられた。
「ちょうどいい護衛だ。軍医印を貨幣へ刻め」
将軍が去ると、ザグレイは膝をついた。
「命令を」
「診察をする。首を見せて」
「それが命令なら従う」
「嫌なら断れ」
「断り方を知らない」
ラウラは命令貨を外科鋏で挟んだ。硬貨の中央には所有者を替える窪みがある。そこへ自分の印を入れる代わりに、彼女は鋏の全体重をかけた。
銀貨が真二つに割れる。
首環が赤熱し、ザグレイの角へ雷が走った。彼は苦痛に呻いたが、ラウラの手を払わない。払えば彼女を傷つけると、自分で判断して耐えていた。その判断がまだ奪われていないことを、ラウラは頼みにした。
割れた貨幣の両面を別々の水盆へ落とすと、表と裏を同時に成立させられない呪いは矛盾し、首環が開いた。
「自由よ」
「次の命令は」
「ない。西門から出れば戦場を離れられる」
ザグレイは割れた貨幣を見つめ、槍を持たずに去った。
日没前、敵の投石機が病院へ狙いを定める。避難は間に合わない。ラウラが最後の患者を担架へ移したとき、空から一本の雷が落ち、投石機だけを焼き砕いた。
ザグレイが丘に立っている。
彼は敵兵を追わず、病院へ戻った。倉庫から自分の雷槍を取り出すと、ラウラの前へ横向きに置き、柄を差し出した。
「将軍のところへ戻ったの?」
「西門を出て、好きな方向へ歩いた。三百歩で、初めて後ろを振り返った」
ザグレイは開いた首環を外し、割れた貨幣の間へ置く。
「ここへ戻ると決めたのは俺だ。命令貨ではなく、この槍を預ける。あなたが逃げろと言うときだけ、相談として聞こう」
ラウラは槍を受け取らず、隣の壁へ立てかけた。二人の間に、表も裏もない銀貨が沈んでいた。