裏ジャケットの番号

久米亜季が姉と話さなくなって、二年七か月になる。

喧嘩の理由はもう、順序立てて説明できない。父の入院、費用の分担、姉の「いつも逃げるよね」という一言。怒りより、連絡を再開する最初の言葉が見つからないことのほうが長く残った。誕生日には互いの名前が画面に浮かび、それでも二人とも何も送らなかった。

「九番街音盤店」で手にしたジャズLPの裏には、鉛筆で電話番号が書かれていた。市外局番は二桁。数字の横に「夜九時以降」とある。誰が誰を待っていたのかは分からない。

盤を試聴しているあいだ、亜季は番号を指でなぞった。消しゴムをかければ消えそうだった。

「これ、消してもらえますか」

店主は裏面を見て、柔らかな消しゴムを出した。だが一度擦ると、紙の色まで薄くなった。すぐに手を止め、消した部分へ透明な補修紙を重ねる。

「これ以上は、ジャケットを傷めます」

番号は薄くなっただけで、まだ読めた。

店主は会計時、商品台帳へ盤の規格番号を入力した。裏にある電話番号は写さない。必要な数字と、残ってしまった数字を分けて扱う。包装は透明袋だけだった。隠そうと思えば紙で包めたが、古い番号はそのまま外を向いていた。

亜季の連絡先一覧には、姉の番号がまだある。

削除していないのは、いつか向こうから謝ってくると思っていたからだ。姉が選んでくれた最初のレコードプレーヤーも、部屋の隅でまだ動く。自分からかければ負ける、とも思っていた。

店の時計が九時を指した。偶然すぎて、亜季は少し笑う。

ジャズの最後の音が消え、店主は針を上げた。電話をしろとは言わない。店内の音を止めただけだった。

亜季は姉の名前を押した。

呼び出し音が一回、二回。切りたくなった三回目に、声がした。

「もしもし」

用意していた謝罪も説明も飛んだ。

亜季はレコードの裏を見ながら言った。

「夜九時以降なら、話せるかなと思って」

姉が息を吸う音がした。

亜季は電話を耳へ押し当てたまま、薄くなっても消えなかった番号の上から、透明袋をゆっくり撫でた。