裏蓋に私の名

 御影万里は、透機房へ一本の腕時計を持ってきた。

 文字盤の中央が透明で、細い歯車やばねが動く様子を見られる。昨年、会社の創立記念で制作チームに配られた品だった。裏蓋には会社名と代表取締役の署名だけが刻まれている。

 万里はその時計の文字盤を企画した。数字をなくし、十二時の位置へ小さな窓を置き、回転する歯車が朝の光に見えるよう図面を引いた。だが発表会では社長が「私の発案です」と話し、万里の名前は資料の末尾にもなかった。

 同じことは何度もあった。広告の見出しも、商品名も、上司の挨拶文も、採用されると誰かのものになった。今度、若手デザイナー向けの公募がある。会社で作った作品を出すなら上司名義にするよう言われ、応募をやめるつもりでいた。

 上司には「チームの成果だから個人名は不要」と言われた。けれど責任だけは、修正履歴の担当者名として万里に残った。

「刻印を足せますか」

 万里が尋ねると、店主は裏蓋の空白を測った。社長の署名の下には、細い一行分だけ余地がある。

 店主は注文票の〈文字〉欄を万里へ向けた。

 万里は最初、イニシャルを書いた。目立たず、問い詰められても飾りだと言える二文字。店主はその紙を受け取り、文字数を数えたあと、彫刻機の文字見本帳を開いた。そこには姓と名を入れた例が並んでいる。店主は何も言わず、注文票をもう一度万里側へ戻した。

 万里は二文字を二重線で消し、〈御影万里〉と書いた。

 細い刃が金属へ触れる音が続いた。削り屑は砂より小さく、店主が刷毛で払うたび、四文字が現れた。社長の署名より小さい。それでも透明な裏蓋の縁に、確かに残った。

 会計の待ち時間に、万里は公募サイトを開いた。作品名、制作年、担当範囲。担当範囲へ〈コンセプト設計・文字盤デザイン〉と入力し、画像の右下にも自分の名を入れる。

 応募ボタンを押すと、店主が時計を裏返して差し出した。表からは歯車が動き、裏には万里の名がある。

 万里は時計を腕へ留めた。袖で隠れる場所だったが、隠れていることと、ないことは違った。