証言室の窓
丹生谷珠里は、殺人を見た。
少なくとも最初の再現では、そうだった。
警察の証言補助室では、事件当夜の街を仮想空間に再構成し、目撃者の記憶を歩いて確認する。珠里は路地の窓から、赤い上着の男が女性を突き飛ばすのを見た。三度目には上着が青くなり、五度目には男が帽子をかぶり、七度目には女性が先に手を伸ばした。
「あなたの記憶の揺らぎを測るため、AIが一部条件を変えています」と捜査官は言った。
だが、どこが変更されたかは教えられなかった。正解を意識すると証言が汚染されるからだ。
珠里は毎晩、事件を夢に見た。夢の中では窓の形まで変わった。現実の自宅へ戻っても、向かいのビルが実在するのか自信がなくなり、カーテンを開けられなかった。
裁判の日、検察官は「被告人を見た確率は八七パーセント」とAI評価を示した。珠里は証言台で被告人を見た。再現で何度も見た顔だった。そのため、初めて見る顔にも思えた。
「この人ですか」
珠里は答えようとして、事件の夜に感じたものを探した。上着の色も、帽子も、顔も崩れていた。ただ一つ、窓ガラスに映った自分の手が震えていた感覚だけが残っていた。
「私は、誰かが倒れるのを見ました。怖かった。それ以上は、もう分かりません」
法廷がざわめいた。検察官は失望し、捜査官は目を伏せた。珠里の証言は決定打にならず、裁判は物証の再鑑定へ戻った。後日、別の監視記録から真犯人が見つかった。赤い上着でも青い上着でもなかった。
警察は謝罪し、記憶修復プログラムを勧めた。事件以前の状態を仮想再現し、安心できる記憶を強化するという。
珠里は断った。
母を亡くした夜、最後に交わした言葉も、今では正確か分からない。けれど彼女は再生して確かめようとはしなかった。記憶は映像ではなく、失いながら抱えるものだと知ったからだ。
半年ぶりにカーテンを開けると、向かいの窓に朝日が反射した。
珠里は眩しさに目を細めた。それが本物かどうか、採点する者はいなかった。