詠唱欄の書記

大詠唱科では、声の大きい者ほど前列に立つ。

フィン・セラは最後列で譜面を書き直していた。喉に障害があり、長い呪文を歌えない。能力測定の欄には【詠唱速度:1】と表示された。

指揮役のオルガン・ミレスは、彼女の羽根筆を取り上げた。

「測定日に落書きは不要だ。今日は、優れた声だけで術を完成させる」

フィンが書いていたのは落書きではない。高音が強すぎれば火の節を削り、低音が遅れれば風の符を足す。歌い手たちは、自分の声だけで大魔術が整っていると思っていた。

指揮棒が下りる。

荘厳な詠唱が講堂を満たし、天井に巨大な光輪が生まれた。だが輪は閉じない。声が重なるほど隙間が広がり、火と風が互いを裂き始めた。

オルガンはさらに声量を求めた。光輪は歪み、観覧席の上へ傾く。

フィンは取り返した羽根筆で、床へ短い符を書いた。声の代わりに、震える息を墨へ吹き込む。最後の線が閉じたとき、荒れていた詠唱が細い川のようにひとつへまとまった。

光輪は静かに上昇し、白い花となって消えた。

床に散った譜面が風もないのにめくれた。各頁には、歌い手本人も知らない修正が残っている。息継ぎの位置、声が揺れる音、緊張すると速くなる癖。フィンは誰かを責めるためでなく、全員の弱点が互いを傷つけないよう、毎晩書き換えていた。

前列の生徒が、自分の譜面を拾って目を見開く。

「この印がある日は、喉が痛くならなかった」

別の生徒も気づく。

「私が高音を外しても、術が崩れなかったのは……」

オルガンは指揮棒を握りしめた。

「書くだけなら誰にでもできる」

フィンは返事の代わりに、白紙の譜面を彼へ差し出した。先ほどの光輪を完成させる修正を書けという意味だった。

オルガンの筆は動かなかった。彼は自分の声しか聞いておらず、隣の息遣いも最後列の震えも知らなかった。

フィンは白紙を受け取り、誰も置き去りにしない新しい導入符を書いた。

新式譜面台が、完成した術式の欠落部分を照合する。歌声の隙間を埋めた符、暴走を避けた修正、全員の呼吸を合わせた余白。その筆跡はすべてフィンへ戻った。

【術式完成寄与:96%】

オルガンの指揮棒から金の飾りが外され、フィンの羽根筆へ移る。

【大詠唱科・任命更新】

総指揮:フィン・セラ

独唱補助:オルガン・ミレス