誓約墨は金貨を追う
慈善舞踏会の会計報告で、金貨二万枚の消失が告げられた。
「支出を承認したのは君だ」
エゼキエル公子は帳簿を閉じ、婚約者を壇上へ呼ぶ。
「セリドウェン・ハクスリー。孤児の金を奪った女との婚約を破棄する」
基金は、セリドウェンが百軒の店を回って集めたものだった。金貨一枚ごとに、パン屋の老夫婦や市場の子どもの願いがある。だからこそ彼女は、善意を扱う者ほど記録から逃げてはならないと誓約墨を採用した。エゼキエルは面倒な仕組みだと笑っていたが、今夜はその仕組みを知らないふりで彼女だけを責めている。
セリドウェンは集まる侮蔑の視線を受け止め、卓上の一枚だけを選んだ。帳簿を何冊積んでも、彼は「彼女が書き換えた」と言うだろう。だから改められない原契約だけで十分だった。彼女が選んだのは、基金設立時の原契約書である。
「商会主コジモ。誓約墨の封を解いてください」
コジモは封印鍵を彼女へ渡した。解くのも、行き先を問うのも彼女自身だ。誓約墨は、契約に基づいて動いた金貨の最終受取人を一度だけ文字として浮かべる。
セリドウェンが鍵を回すと、黒い条文から金の線が流れ出した。二万本の細い光が一本に束ねられ、契約書の末尾へ名を刻む。
――エゼキエル・ラグラン所有、白鷲賭博場の債務口座。
公子の顔が硬直した。
「君の署名で送金したのだ。形式上は君の責任でもある」
「署名欄の下に、王族代理人は受取先を変更できる、とあります。誓約墨はその権限を使った者を追いました」
エゼキエルは周囲を見回し、婚約を継続すれば基金へ補填できる、家のために賢く考えろと囁いた。
「孤児の金を返すことと、わたくしがあなたの妻になることは別の契約です」
セリドウェンは婚約証へ自分の名で終了印を押した。
「破棄を受諾します。今後、わたくしの署名は、わたくしが選んだものにだけ使います」
元婚約者に背を向けると、コジモが新しい公益商会の共同代表として手を差し出した。セリドウェンはその条件を自分で読み、納得してから、その手を取った。