赤ペンのない机

奈津緒が持ち帰っていいと言われたのは、段ボール一箱だけだった。

実家の二階、昔の机の引き出しには、模試の結果と通知表が年度順に束ねられている。どの紙にも父の赤い字があった。〈次は五点上げる〉〈油断〉〈この順位では足りない〉。

父は廊下から言った。

「それは残しておけ。お前が努力した記録だ」

奈津緒は返事をせず、束を机の上へ置いた。箱に入れたのは、欠けた陶器の鳥と、文化祭で使った青い布と、友人にもらった手紙だった。

「そんながらくたより、賞状を持っていけ」

「賞状はここに置く」

「誰のおかげで取れたと思ってる」

父の声は大きくなかった。だからこそ、赤い字と同じように逃げ場がなかった。

奈津緒は一番上の模試を開いた。数学九十二点。余白に〈凡ミス二つ。喜ぶな〉とある。答案を見ても、問題の内容はもう何も思い出せない。ただ、返された日に嬉しい顔を引っ込めたことだけ、指先が覚えていた。

「これは、お父さんの記録だよ」

「何?」

「私の点数じゃなくて、お父さんが足りないと思った記録。欲しいなら残して」

父は机のそばまで来たが、紙には触れなかった。

奈津緒は引き出しの奥から赤ペンを一本見つけた。インクは乾いていた。模試の束の上へ置く。

「箱には、私が選んだものだけ入れる」

「後で後悔するぞ」

「後悔したら、私がする」

陶器の鳥は片方の羽が欠けている。父には一度も褒められなかったが、奈津緒はその不格好な重さが好きだった。

箱の蓋を閉じると、父がテープを差し出した。奈津緒は受け取らず、自分の鞄から布テープを出した。

一本の線を端から端まで引く。赤ではない、鈍い銀色の線だった。

父は乾いた赤ペンを持ち上げ、何度か紙の上で試し書きをした。線は出なかった。『どうして、その鳥なんだ』と聞かれ、奈津緒は『点数をつけられなかったから好きだった』と答えた。父は笑わず、赤ペンを机の奥へ戻した。もう答案の上には置かなかった。

父は模試の束を見下ろしたまま、「その鳥、割るなよ」と言った。

奈津緒は箱を胸に抱えた。割れた羽ごと、今度は自分で持って帰った。